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廃墟を旅する 

産業遺産や戦争遺跡、時を超えた郷愁への旅路へ・・・

【戦争遺跡】高島の海軍戦争遺跡

ほとんど情報のない小さな島の海軍戦跡

高島の海軍戦争遺跡
高島資料1
 高島という島に『四階建て』と呼ばれる謎の戦争遺跡がある。自分がこの情報を耳にしたのは確か某テレビ番組だった。
 それから地図を調べ、当時の記録文書を調べたが、手に入ったのは地元新聞がこの戦跡を取材した時の記事だけで、この戦跡が何のために造られたのか、また、誰が作ったのかといった情報は断片的な地元民の記憶のみといった状態だった。
 ならば、実際に行って確かめるより他はないのである。
 実際に島に行ってみよう。そう思ってから数か月、遂に上陸を果たし、この謎の戦跡調査を開始するのだった。


 前置きはこのくらいにして、この島の位置関係を説明したい。上記の図は高島と周辺地域の位置関係図だ。
 高島は長崎県平戸市、平戸島の南西端に浮かぶ小さな島だ。現在の人口は僅かに40人。漁業が主産業で集落以外は断崖と森に覆われている。この島の東に目を転じると佐世保市が存在する。佐世保と言えば帝国海軍の一大拠点であり、鎮守府や海軍工廠をはじめ、様々な海軍関係機関が所在した場所だ。どうやらこの辺りに高島の戦跡に関するヒントがありそうだ。

 ここで事前に説明しておきたいことがある。実はこの島から離脱する前に、戦時中のこの島の事や戦跡に関して実際に目撃した島民の方から貴重な証言をいただいた。なので、その方が語った高島戦跡や戦中の記憶は赤字で表記する


高島資料2
 上記の図は衛星写真から見た高島の『四階建て』だ。当然ながら通称であり、地元の方がそう呼んでいる。
 地元の方の証言では、この戦跡を構築したのは太平洋戦争真っ只中の1943年(昭和18年)であり、構築した組織は「佐世保防備隊」だという。構築には島の人たちも駆り出され、海砂を何回も現場に運んだそうだ。
 そして兵隊は当時200人ほど駐屯しており、この『四階建て』は防空見張所で頂上に対空砲を据える台座があるという。確かに写真からは頂上付近に丸い台座が確認できるが、はたしてどうなのか。
 これ以外の戦跡も必ずあるはずだと自分は考え、この『四階建て』を核心として周辺を探索してみる事とした。


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 この島に渡る手段は釣り船で運んでもらうしかない。宮之浦漁港から約5分で目的の島に到着する。

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 運んでもらったのは「丸銀釣センター」さんの釣り船だ。初めて釣り船というものに乗ったが、めちゃくちゃ早い!
 船長さんに高島に何しに行くのかと聞かれ、『四階建て』に行くのだというと、あ~あれね、といった感じで、地元では有名な構造物らしい。しかし、詳しい事は何もわからない。


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 直ぐに高島が見えてきた。

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 そして、島の左側、断崖の上に目的の『四階建て』が姿を現した。こうして自分の目で確認すると、それが幻でも何でもなく、現実にそこにあるのだと実感できる。

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 やがて船は高島の集落に到着した。静かな、というか人の気配がほとんどしない入港である。

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 漁船はおよそ5時間後に迎えにくるようだ。この島で探索できる時間は約5時間。全力を出すときは今である。

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 上陸してすぐに『四階建て』の方向に歩き出す。明確に道が解っているわけではないが、この際直観に全てをかけてみる。
 見える海は平戸島の南、当時この海域を帝国海軍の軍艦が佐世保軍港に出入りするために航行していたのであろう。


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 海岸沿いに舗装された道がある。

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 この道をいけばどうなるものか、危ぶむなかれ、行けばわかるさ。

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 道から眼下を見ると様々な物が落ちている岩場が見える。この中には当時の物も混じっているのだろうか。
 よく見ると猫がいるのだが、お分かりだろうか?


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 さてしばらく行くと『四階建て』とは違う建造物が見えてきた。この島にはどうやら海軍が駐屯し、施設構築行っていたようなのでこれもその一つだろうか。

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 錯雑地の中に踏み込んでいくと、建造物の基礎部分が現れた。

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 さきほどの建造物の方向に進んでいると、前方に嬉しい塊が見えてくる。

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 間違いなく、軍の境界石だ。

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 「海軍用地」とはっきりと刻まれた境界石の存在は、この場所に間違いなく海軍部隊が存在した何よりの証拠だ。

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 さらに進んでいく。

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 人工物らしき物が見えてきた。

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 入口がある。おそらく当時の物で間違いなさそうだ。

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 内部は何もない。がらんとしている。屋根もない。

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 小便器が落ちている。この場所は暫定的に「兵舎」としておこう。

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 天井から青空がのぞく。

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 レンガの積み方にはいくつか種類があるがこれは「イギリス積み」のようだ。このレンガの積み方でもある程度年代を測定することが可能だが、今回は解らない。

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 入口から再び外に出る。

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 近傍に便所が確認できた。先ほどの小便器もここの物だろう。

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 一升瓶。ほぼ例外なくどこの戦跡でも存在する。当時の兵隊も酒を飲んで一時現実から目を逸らしたのかもしれない。

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 さらに近傍に水の溜まった構築物が出てきた。

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 形状からどうやら貯水槽のようだ。

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 ふと見上げると、木々の隙間から目指す『四階建て』が確認出来た。

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 拡大してみるとより形状がはっきりしてくる。側面に階段が付いているようだ。

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 石垣がある。これも当時の遺構だろうか。

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 不意にコンクリートが現れた。これは道だと考え先を辿ってみる事にする。

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 丸いレンガの付いたコンクリ破片。雨どいか排水管だろうか。

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 明らかに排水用の設備だ。

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 お!コンクリの壁だ。

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 どうやら建造物を囲う塀のようだ。

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 そして入口の門と思われる遺構が姿を現した。

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 そして複数の一升瓶。

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 塀の内部にはやはり建造物が存在した。

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 草が生えて解りづらくなった建造物の入口から内部に入る。

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 内部はもはや自然に帰っていた。

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 僅かに当時の意匠が確認出来る。

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 唯一残った部屋がある。

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 どうやら便所のようだ。

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 便所は建造物の中でも頑丈に出来ているそうで、いざとなったら便所に逃げろと聞いたとこがあるような、無いような。

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 先ほどの建造物の正面に別の建造物がある。こちらは割としっかりと残っているようだ。

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 内部には何もないが、床も天井も現存している。

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 何もない窓から自然光が差し込む。

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 壁に何かの跡がある。

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 棚でもあったのだろうか。

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 庭には謎の石組み。貯水槽にも見えないので観賞用の池のようだ。これには少し平和な感じが伺える。この建造物は戦中ではなく戦前に建造されたのではないかと考えるのだが、いくつかの証拠がそれを裏付けてくれそうだ。

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 外に出る。

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 炊事用の施設があった。

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 煮炊きするための場所。どうやらそれなりの人数がいたようだ。

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 建造物外観。このように意匠の富んだ物を戦時中に造るとは考えづらい。戦前から海軍部隊が駐屯していたと考えるのが自然だろう。
 島民証言:この建造物は「兵舎」であり、当時偽装からか屋根が青く塗られていた。そのことから『青兵舎』と言われていた。


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 さあ、いよいよ『四階建て』は目の前だ。

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 その姿がよりはっきりと見て取れる。四階建てというが、これ下の部分はただの台座ではないか?

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 道中井戸を発見。

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 錯雑地を抜けて視界が開ける。広がる海は対馬海峡方面だ。

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 そして、舗装された道は無くなった。待ってましたとばかりに再び藪漕ぎが始まった。
 とにかく目に見える目標へ向け突き進む。


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 だが、またもや違うものが目に入る。崖の上に明らかにコンクリート製の人工物があるのだ。
 これは、もしかしたら観測所かトーチカでは?と思い、先ずはそちらに行ってみる。


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 後方には上陸適地など皆無の断崖が続く。

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 藪漕ぎスタート!

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 すると直ぐに人工物発見

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 かなりしっかりとした壁だ。

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 コンクリートとレンガで何重にも増してある。

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 やはりイギリス積みのレンガ。

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 これは「弾薬庫」なのではないか?そう思ったのは特殊な造りと、兵舎からの距離や立地からだった。
 島民証言:『四階建て』近くの建物は「弾薬庫」だ。


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 内部に入ってみる。

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 入り組んでいるがいくつかの部屋になっているようだ。

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 内部も自然に侵食されている。

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 一部に当時の木材が生きていた。

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 基本的には壁のみで何もない。

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 もう古代遺跡と化している。

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 窓の外からも容赦なく木が入り込む。

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 ということで「弾薬庫」を後にして、藪漕ぎ前に見えたコンクリ製構築物までたどり着いた。
 はたして何であるか。


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 !!
 これは間違いない!砲測弾薬庫だ。形状と戦跡の現状から対空陣地だと思われる


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 近傍であるものを探す。

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 あった。これは砲床。高角砲を据え付けるための土台だ。状況からボルト等は解らない。
 一つあったら四つはあると思え対空陣地!次を求めて隣に移動する。


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 そしてそう通りに直ぐに次を見つける。砲測弾薬庫だ。

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 かなりしっかりとして大きい。それなりの高角砲が据え付けられて居たものと推測できる。

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 これも砲床の一部だ。

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 砲測弾薬庫内部。板張りにコンクリを流し込んだ跡がある。これは戦中または末期の急造品の特徴だ。
 つまり、さきほどの兵舎より後、戦中にこの対空陣地は構築されたと推測できる。


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 コンクリの材質は細かい砂が多く使われているようだ。これら材質から、戦中島民が駆り出され、海から海砂を大量に運んだとする証言と一致する。

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 二つの砲測弾薬庫が見て取れる。この中心に砲があったのだろう。

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 構造が良くわかる綺麗な砲側弾薬庫

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 中心の土をどけてみると、お目当ての高角砲据え付け部分が現れた。

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 円形の構造で、金属製だ。

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 砲と台座を繋いだと思われるボルトも見て取れた。

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 砲側弾薬庫から横に石垣が構築されている。

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 土留めの役割を果たしているのだろう。

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 石垣を見て進んでいると、目の前に『四階建て』の入口が現れた。
 これを見るために九州の先端まで来たのだ。一端対空陣地の探索を辞め、『四階建て』へと侵入する。


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 入口付近。門などは何もない。

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 入口から上を見上げる。無機質なコンクリ製構築物からは先ほどの兵舎にあった遊び心は感じられない。時局の切迫した状況が建造物から感じられるのだ。

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 内部へ。

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 窓からの眺望。ここからは佐世保に入る艦船や航空機が一望に見えるだろう。

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 そして平戸島南端の山々も視界に収めることが出来る。

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 天井には碍子。これは電灯や電気機器の存在と、発電設備の存在の両方を教えてくれる存在だ。

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 窓から見える景色

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 部屋の端に階段がある。これで上に行ける。

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 床に散らばるコンクリの破片

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 どうやら全体は鉄筋コンクリート造らしい。鉄筋やコンクリを豊富に使用し構築された建造物。重要な施設だった可能性が高い。

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 コンクリの間にレンガ。

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 壁にレンガ。これは長手積みというレンガの積み方だが、かなりいい加減なように見える。それだけ余裕が無かったということだろうか。

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 取り付けば橋と橋脚の様子。『四階建て』と向こう側の間は崖となっている。

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 狭い階段を上がり二階へ。
 この時点で気づいたが、やはりこの建造物屋上まで入れても三階しかない。なぜ『四階建て』という通称になったのだろうか?


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 二階の明かり。

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 二階より階段を見る。

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 二階の部屋の様子。ガランとして何もない。『四階建て』は見張所兼兵舎と伝わっているようだが、兵舎なら立派なのが違う場所にある。この場所はもっと違う用途に使用されていたのではないか?

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 部屋の奥より階段方向を見る。

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 外付け階段へ出るための扉から外へ。

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 ベランダになっている。ちょっと怖い。

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 外壁を見てみると雨どいを設置するための金具が見えた。

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 階段を登って屋上へ。

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 そしてあらわれる謎の台座。

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 屋上にはこの台座一つであとには何もない。これを対空砲を据え付けるための台座だと伝わっているらしいが、本当にそうだろうか。

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 台座の中心には円形の跡。そして真ん中の円は空洞になっており、階下に抜けているようだ。

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 何かを据え付けたボルトがある。これは対空砲の物だろうか?
 島民証言:『四階建て』の屋上には対空砲があったのではないか?


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 台座には無数の機銃掃射の跡が刻まれている。米軍は戦中この建造物の存在を知っていたようだ。
 島民証言:戦時中グラマン(米軍艦載機)の空襲が一回だけあった。その時『四階建て』は被弾した。グラマンは2機編隊で飛来した。


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 この建造物が米軍にとって邪魔な存在だったということか?

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 私見の結論をいうと、この『四階建て』はレーダー(電探)施設だったのではないだろうか。防空用電探をこの台座に据え付け、敵空襲に備えるため、また、佐世保軍港に緊急警報を送るための施設と考えると、この場所にこれだけ巨大かつ堅牢な施設が構築された理由に納得がいく。さらに、台座の中心の形状も、内部が空洞な理由は配線が通っていたためではないか。電力供給能力があったことは間違いないので、電探があったとしても不思議ではない。
 これら重要な施設を護るために、海軍は後方に対空砲陣地を構築したのではないだろうか。


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 しかし、当時の文献が見つからない今、この考察は推測の域を出ない。
 全てを知っているのは、この『四階建て』のみである。


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 ある程度満足のいく考察が出来た時点で、そろそろ次に行く時間だ。

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 もう一度だけ、台座から見える風景を見ておく。
 もう二度と見ることが出来ない風景かもしれないのだから。


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 島民の証言にあるように、『四階建て』の壁には機銃掃射の跡がいくつも残っている。

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 これらは当時から今に伝わる戦争の生き証人である。

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 『四階建て』台座部分。鉄筋コンクリート造とは言え、もう70年以上の時が過ぎた。近くない将来に何もしなければ崩壊することは確実だろう。

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 さて、後方の対空陣地の探索を再開しよう。

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 先ほどの対空陣地と明らかに違う構造の壁だ。

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 かなり分厚く丁寧に構築されている。

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 その先に穴が開いていた。直径にすると2.5mほど。これは砲塔ターレット(砲基部を入れるための穴)だろう。
 つまりかなり大きな高角砲が配置されていたのか。


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 やはり先ほどとは異なる砲側弾薬庫だ。

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 連なるように一体で作られている。

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 奥行きはあまりないが、その分かなり分厚い。

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 高角砲陣地事態もかなり大きいように感じる。

197_R.jpg
 これは連装砲があったのではなかろうか。
 海軍の主力対空砲は(四十口径八九式十二糎七高角砲)があるが、これは単装砲と連装砲存在している。この形状の違う対空砲陣地は据え付けられた砲の種類が単装と連装と異なっていたための計画仕様の変化なのではないだろうか。


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 詳細は解らない。情報を持っている方がいたら是非とも教えていただきたい。

高島資料4
 上記が『四階建て』を中心とした対空陣地の配置図である。

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 さて、『四階建て』を後にして、向かったのは島の最高点である。この場所にはかつて兵舎や対空機銃陣地があったと証言がある。
 島民証言:山頂には兵舎や対空機銃とその台座、炊事場や風呂まであった。


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 山頂付近には破片が散乱する。あきらかに爆破処理の痕跡だ。戦後に施設を爆破したのか?しかし、島民はこう証言する。
 島民証言:兵舎や機銃陣地は爆破されている。それをしたのは日本軍自身だ。進駐軍や戦後の事ではない。


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 なんと日本軍自らの手で施設を破壊したというのだ。どうしてそのようなことになったのか。

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 話を聞くと興味深いことが解った。この島の価値は大戦末期には失われていたようなのだ。
 島民証言:対空砲は終戦前に取り外され、決戦正面(本人談)に再配置されるために移動した。


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 つまり、本土決戦を目前に控え、対空防御の必要性より砲を対着上陸の為の海岸砲台に使用するために移動させたということだ。これが事実なら島の価値は失われ、兵員も大幅に削減される。そして、使用されなくなった施設は米軍に使用される恐れもあるため、自らの手で爆破処理したのではないだろうか。

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 だとしたら少し残念だ。この場所には立派な遺構が存在していたかもしれない。

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 巨大なコンクリの塊が目の前に現れた。

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 下部に穴が開けられている。

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 内部を見ると貯水槽のようだ。これも使用出来なくするために下部に穴を開けたのだろう。

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 撤収時に施設を破壊するのは常套手段だ。当然行うだろう。
 この穴は指向性爆破薬で行ったのか、それとも手作業か。


216_R.jpg
 こちらは炊事関係の施設のようだ。

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 まともに残っているのはこれと貯水槽くらいだ。

218_R.jpg
 ちなみに山頂対空機銃は撤収前に試射を行ったらしい。
 島民証言:戦中山頂に備え付けた機銃は試射を行った。


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 全ての探索を終え、下山途中に最後の遺物を発見した。境界石である。

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 (海十五号)と刻まれている。

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 そしてしっかりと(海軍用地)とある。やはり高島は海軍の島なのだ。

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 探索終えて、集落へ戻る。もうすぐ迎えの船の時間だ。

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 学校の近くを通る。かつてこの島にも学生が居たのであろうが、今は校庭もあれている。
 この島に過去何があったのかを知る人は、もうほとんど残っていない。


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 船に乗り込む前の数十分間、偶然島民の方と話す機会を得て、貴重な高島の戦争の話を聞いた。この小さな島の戦跡が、佐世保地区にとってどのような意味を持っていたのかの一端を解き明かすヒントをいただいたようだった。
 そして、対戦末期の惨状もお話してくれた。
 島民証言: 高島を空襲したグラマン2機は宮之浦漁港をそのまま空襲した。当時そこには軍に徴用された小舟が存在し、それが被弾炎上した。負傷した兵隊が高島に運ばれ、傷だらけの兵隊が民家で風呂に入る場面等を目撃した。負傷した多くの兵隊は亡くなった。自身は空襲時、民間で掘った防空壕に入っていた。
        高島から佐世保に向かう100機程の大編隊の艦載機やB29爆撃機を目撃した。その時高島からの砲撃は無かった

 まさにこの上空を佐世保に向けて敵の大編隊が通って行ったのだろう。今は青い静かな空が広がるばかりである。


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 以上が高島にある戦争遺跡探索で判明した全てである。おそらくこれ以外にも戦跡はあるのだろう。伝わるところによると、探照灯や対潜水艦用の聴音所もあるようだ。しかし、時間は有限だ。もう帰る船が来る。

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 高島に眠る謎の戦跡『四階建て』。それは海軍の重要な施設だったのか、それとも対空見張所だったのか。本当のところは謎のままだ。しかし、多くの戦跡がこの島にある事だけは事実であり、戦争はこの島にも痕跡を刻んだのである。

236_R.jpg
 また訪れる事が出来るだろうか。そんな事を考えつつ、帰路の船に乗ったのである。

高島資料3
 最後に高島戦跡の配置図を掲載する。参考までに見ていただきたい。


参考文献等
〇 長崎新聞(2005.10.01)戦争の記憶9 高島の「4階建て」終戦の年、激しい空襲
〇 Wikipedia 四十口径八九式十二糎七高角砲


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それぞれの戦跡にそれぞれの記憶が存在する。
  1. 2023/03/12(日) 11:08:21|
  2. 戦争遺跡・地下壕
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tyokusya2.jpg
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戦跡を旅する。それは未来を考える事でもある。
  1. 2023/03/11(土) 22:34:36|
  2. 戦争遺跡一覧
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【産業遺産】若松鉱山

認められた産業遺産も朽ち果てていく

若松鉱山
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 夕暮れ迫る鳥取の山の中。重厚な建造物が不自然に表れた。それは一目見て鉱山施設とわかるものであり、本日最後の廃墟探索に相応しい廃墟との出会いに興奮したものだ。
 今回の廃墟は正真正銘、公的機関の認めた近代産業遺産である。戦前からこの鉱山ではクロムを採掘していた。これは金属のメッキに使われるものであるが、この鉱山での採掘量は日本で最大だったらしい。それが認められ輝かしい遺産として登録されたのだが、ご覧の通りの有様である。この建物は荒れるに任せ、朽ち果てるのを待っている。


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 遺産を後世に残すという考えがこの建造物からは感じられない。しかしながら朽ちるに任せて放置するという、見守り保存のような考え方もある。なによりこの廃墟に手を加えて保存をしようものなら、莫大な必要経費が掛かるだろう。そのような財政の余裕が捻出出来ないなら、このようになるのも致し方のないことなのかもしれない。


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 だがしかし、この産業遺産がこの山奥に存在していることを知っている人がどれだけいるだろうか?要は後世にこの遺産の記憶を伝える努力こそするべきであり、それが出来ていない時点で産業遺産として登録されていても、何の意味もない廃墟ではないか。
 日本各地にある全ての産業遺産に言えることである。


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 ということで、この産業遺産を余すところなく紹介していこう。


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 ここから侵入してみる。


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 機械選鉱所とある。


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 内部は複雑な機械が錆びついて鎮座している。人の気配は一つもしない。静寂の世界である。


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 入ってすぐの場所。屋根の落ちた雨ざらしの空間。


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 整理整頓の看板の下には、何かの工具や部品が散乱している。


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 茶色の目立つ視界に白い氷の粒が彩を添える。季節は冬の折。寒々しい光景である。


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 もやは使われることのない部品たちが沈黙して、長い時を過ごす。


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 降り注いだ雨水は凍り付いて動きを止めている。


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 鉱山の労働者が守るべき事項が書かれている。


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 こういう配線をみるとかなりわくわくする。実は筆者は二種電工を持っている。


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 きっと最期の時に働いていた方々の名前だろう。この札を動かすことはもう無い。


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写真では確認しずらいが、かなり暗い。夜の足音がすぐそこまで近づいているのだ。


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 床も崩れやすくなっていて危険である。廃墟では常に先を読み、危機を察知する能力が求められるものである。


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 外はまだ明るい。内と外でまるで違う。異空間にいることを実感できる。


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 選鉱で出た大量の土砂を運ぶためのベルトコンベアーだろうか。


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 機械油とグリスがしっかりと塗布してある。この選鉱場が最期まで使い込まれ、そしてメンテナンスをされていたいたことがわかる。


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 機械の前には人一人が歩けるほどの狭い通路がある。


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 なかなか趣のある階段の作りだ。


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 わずかな光の中で日本の産業を支えた機械たちが輝いている。


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 危険すぎて立ち入りは無理そうだ。


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 狭く細い階段を登って上に行く。


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 天井のわずかな隙間から光が差し込む。


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 天井に細い通路が張り巡らされている。


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 さらにさらに上へ。


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 墜落注意。落ちたら大けがするだろう。


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 いたるところに工具がある。壁のこんなところにもスパナがぶら下がっている。


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 いくらか明るい場所に来た。上層部へいたる道のようだ。


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 当時の生活の跡が散乱している。


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 最上部から下へ、ベルトコンベアーが続いている。


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 下の選鉱所と違って狭く密集した空間だ。


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 外に出てみると、そこには四角い建造物。


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 扉は開いていたが入ることはなかった。


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 最上部にある建造物だ。さっそく入ってみよう。


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 上部にあるためか空が近い。


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 ベルトコンベアーが先ほどまでの下の建造物へと伸びている。


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 これが再上層部である。


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 もうだいぶ暗い。山はあと少しで真っ暗になるだろう。


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 上層部から見える景色は、山奥の中にこの廃墟が浮いているような感覚になる。


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 日本の近代産業を支え、その功績を認められて近代産業遺産に登録された立派な遺産は、現在山奥でひっそりと朽ち果てようとしている。


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 このまま廃墟として無に帰るのか。それとも再評価されてたくさんの人の目に触れられるのか。どちらにせよ、それを選択するのは我々、今を生きる者である。
 そして、どちらにせよこの廃墟はこの場所にあり続けるのだ。

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  1. 2018/04/28(土) 22:21:20|
  2. 産業遺産
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【不思議系廃墟】『華麗なる一族』への追憶

その廃墟は伝説で、幻で、記憶の中に存在する。

『華麗なる一族』への追憶
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 『華麗なる一族』がどうやら解体され、更地になったらしい。そのような情報が先日入った。情報は本当だった。この強烈な印象を与えてくれた廃墟は、私の追憶の中に今も存在している。

 その廃墟が一部の人間の間で爆発的な勢いで噂になり、そして廃墟界最大のミステリーとして語られるようになったのは、もう5年以上も前のことになるだろう。それは一つの廃墟サイトから始まった。謎めいた洋館が森の中にある。どうやらその廃墟に住んでいた住人は、とてつもなく位の高い、皇室にも繋がるのではないかというほどの人物らしいという情報。そして、この廃墟に当時皆が魅せられた最大の理由、場所が全く解らなかったのだ。

 いつしかこの廃墟に魅せられた人たちは、この廃墟をこう呼ぶようになった。

 『華麗なる一族』と。
 当時この廃墟に関する情報はほとんど無かった。森の中、別荘地、関東の何処か・・・。このような断片的な情報を頼りに関東中の別荘地を周り、週末になると軽井沢、箱根、伊豆、手当たり次第に探し回ったものだ。しかし、一年探しても見つからなかった。
 だが、事はある日突然回り始める。なんとこの廃墟を偶然見つけたという情報が入ってきたのだ。その場所は、箱根。過去何度となく通り探索した場所。見つかってしまえばあっけないものだ。すぐにその場所へ向かった。


 そして狭い道の先、森の小道の奥に、その廃墟を見つけたのだ。


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 鬱蒼と茂る木々が外界とこの場所を遮断する。ジメッとした森の中に木漏れ日が差し込んでいた。
 あぁ、紛れもないこれはあの廃墟だ。と感動したものである。



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 それは一見場違いな雰囲気の瀟洒な洋館である。


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 建造されたのは以前の【赤別荘】ほどではないが、だいぶ昔のように思えた。


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 しかも、なんちゃって洋館ではなく、しっかりと造りこまれた家に思えた。



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 実を言うとこの写真は最初に行ったときに撮った写真ではない。それから数年経って再訪した時の写真なのだ。なので再び訪れた際は驚いた。かなり崩壊が進行していたのだ。



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 これは先ほどの反対側。壁が二階まで崩落し、内部の物が散乱している。



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 先は長くないな。その時はこんな感想を抱いたが、それは自然崩壊を考えてのものだった。人為的に更地へ戻されることなど、この時はまだ欠片も考えてはいなかったのだ。


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 一度こうなると崩壊は早い。完全崩壊も時間の問題だったことだろう。


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 入り口の三角屋根がムーミンハウスのようで素敵だ。


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 入り口はこじんまりとしているが、しっかりとした石造りだ。


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 そして、簡易なチェアーが2つ。


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 柔らかな木漏れ日の下で本を読む。そんな当時の映像が脳裏をよぎる。


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 内部への扉は開いたままになっていた。


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 いったんその反対の外側から見ていく。


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 いい味を出しているテラスが現れる。


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 これまた今風でない窓と扉。


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 開け放たれた窓から内部を見る。床が落ち、めちゃくちゃになっているが、どうやら洋室のようだ。


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 暖炉がついてる家なんてそうそうないだろう。


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 真っ赤なソファーは変色し、黒くなっていた。


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 天井もイカそーめんのようになってしまっている。


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 再び玄関。読みかけのような本が哀愁を誘う。


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 では、内部へ。


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 当然だが、光があまり入ってこないので薄暗い。


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  正直崩落が激しすぎて探索出来る部屋は限られている。


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 一階はほとんど見られるものは無い。二階へ。


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 百人一首の札。住人の生活レベルが伺える。


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 上から見ると、各部屋は床が抜けていて、入れる状況でないのがよくわかる。


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 二階へ到着した。


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 外から見えた窓だ。


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 今朝明けましたよ。そう言われているような気がする。


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 さて、なぜこの廃墟が華麗なる一族といわれるようになったのか。それはこの部屋が原因なのだ。この部屋にあったあるものに、なんと皇室の御紋章である菊花紋章が着けれれており、内部からも繋がりを思わせるような品や情報が発見されたからなのだ。
 だが、本気になって調べた方々によれば、皇室との繋がりはないと結論が出されている。しかし、ここに住んでいた人達が、それなりの経済力を持っていたらしいということも判明している。
 ここでは詳しくは書かないが、気になる方は調べてみるといいだろう。


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 大きな窓があるが、部屋は一層薄暗い。不気味な雰囲気を出している。


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 物が散乱する部屋。最初に来た時よりも散らかっている。


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 窓にはどうゆう関係なのか不明な外国人の写真。


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 そして、肖像画。


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 この人物が誰なのかなど、この廃墟をミステリアスにしていった理由がお分かりになってきただろうか?


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 仏壇がある。


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 仏壇にはポッポちゃんの遺影が一つだけ残されていた。


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 この部屋からすべては始まり、そして終わろうとしていた。


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 別の部屋へ。


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 これは危険過ぎる。床も壁も無いも同然だ。


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 外から見えた角ばった場所だ。なんの部屋だったんだろうか。


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 二階から降りるとき、またあの窓が気になった。


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 開け放たれた窓。


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 この窓も永遠に開いたままではいられなかった。


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 この風景は、もう世界の何処にも存在しない。


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 かつて一台旋風を巻き起こし、多くの人の記憶に鮮明に刻まれた廃墟は、もう何処を探しても見つからない。


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 伝説と言われた華麗なる一族も、追憶の彼方へ行ってしまった。


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 その廃墟は今も、鬱蒼とした森の、木漏れ日の下で、皆の追憶の中に、存在している。

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  1. 2017/10/14(土) 18:19:16|
  2. 不思議系廃墟
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【廃病院】生き残りの医院

こんな廃病院は日本にいくつもあるんだろうな

生き残りの医院
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さて、日本にこのような廃病院はいくつ残されているだろうか?いかにも戦前からあるような木造の診療所。中身は見ないでもわかるような、待合室や古めかしい薬瓶置き場、素晴らしい手術室など、廃墟探索者を飽きさせない内容だろう。
しかしながら、昨今の廃墟に対する風当たりは非常に厳しい。戦前から今まで取り壊しの対象になっていなかったのに、今になって更地へと変わってしまう、そのような廃墟が多い。それも、最高級と思えるような廃墟ばかりだ。かつて最高と言われた廃墟、【小曲園】や【蛤診療所】も今は伝説となり、また、現在進行形で伝説になろうとしている廃墟が多いのだ。
こと廃病院は取り壊しの対象になりやすい。たいして歴史的な建造物でもないし、今まで取り壊しの対象になっていなかったのが不思議なくらいだ。だが、廃墟探索者としては、寂しい限りなのだ。

この廃墟もそんな廃病院の一つだ。



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今や絶滅危惧種に指定されたこの種の廃墟は、実は建造物的に見てもかなり重要なもののように思える。今まで見てきた廃墟と今ある歴史的価値のある保存建造物の差は、そんなに無い。あるとすれば、その場所が歴史を左右したかどうかだろう。
著名人が住んでいたわけでもなく、重要な会談があったわでもない廃墟など、多くの人の目からはボロボロの心霊スポットくらいにしか映らないのだろう。



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だが、歴史はどんな建物にも存在する。この廃墟にだって様々なドラマがあったはずだ。
今となってはわからないが。


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早速中に入ってみよう。


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控室と書かれた部屋


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診療券。これを手に診察を待つ誰かがいたのだろう。


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この廃墟で一番の美しい部屋へ。


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さぁ、廃の美術館へご招待します。


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この椅子が先生の椅子だったのだろうということは容易に想像できる。しかし、その先生が現在どうなってしまったのか、どうしてこの診療所を残していなくなってしまったのかは、想像してもわからないことだ。


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透明な瓶には当時の蒸留水が残る。いつまでもここにあり続けてほしい。


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奥の部屋に魅惑の空間がある。


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心霊を信じる人にとっては恐怖の現場だろう。これほど人の生き死にに関わる部屋もない。


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だがこれほど神秘的かつ科学的な空間もない。人がこの空間を見るときに感じる感情は、まさに千差万別だ。


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奥に続く廊下。


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煙草盆がある。


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闇と光の空間。


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自然光とはかくも明るく周りを照らすものなのだ。


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物が乱雑にまき散らされている部屋


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古いカレンダーだが、これがあるおかげで、この廃墟がいつまで現役だったかを知ることが出来るのだ。


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薬を受け渡すための小窓。趣がある。


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薬棚。


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何も映さない四角いボックス。


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古い診療所ではこの手の光景をよく見る。いい感じだ。


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時計の針が無い。この世界が、実はすべて幻想と我々の想像でしかないことを教えてくれているのだろうか?


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ガラスの割れたその先に。


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また割れたガラスがあるよ。その先は。


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記憶を残す機械も、いつかは記憶になっていく。


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診療券の裏側は遠い昔の言葉で溢れている。


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必要なものがこの世に残り続けることは必然。なら必然的に不必要なものは消えていくことになる。廃墟は一見すると不必要なものだ。


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奇跡的に現在まで残る各地の廃墟は、過酷な現実を乗り越えた『生き残り』たちだ。


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生き残っている者たちがいつまでもそこにいると思ってはいけない。次の瞬間にはいなくなっていても不思議ではないのだ。
いなくなってしまってからでは全てが遅すぎる。それは、人も廃墟も同じことだ。

この目で見て、この身で感じて、彼らの最後を記憶に焼き付ける旅を続けていこう。

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  1. 2017/05/05(金) 22:32:21|
  2. 廃病院
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