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廃墟を旅する 

産業遺産や戦争遺跡、時を超えた郷愁への旅路へ・・・

【戦争遺跡】高島の海軍戦争遺跡

ほとんど情報のない小さな島の海軍戦跡

高島の海軍戦争遺跡
高島資料1
 高島という島に『四階建て』と呼ばれる謎の戦争遺跡がある。自分がこの情報を耳にしたのは確か某テレビ番組だった。
 それから地図を調べ、当時の記録文書を調べたが、手に入ったのは地元新聞がこの戦跡を取材した時の記事だけで、この戦跡が何のために造られたのか、また、誰が作ったのかといった情報は断片的な地元民の記憶のみといった状態だった。
 ならば、実際に行って確かめるより他はないのである。
 実際に島に行ってみよう。そう思ってから数か月、遂に上陸を果たし、この謎の戦跡調査を開始するのだった。


 前置きはこのくらいにして、この島の位置関係を説明したい。上記の図は高島と周辺地域の位置関係図だ。
 高島は長崎県平戸市、平戸島の南西端に浮かぶ小さな島だ。現在の人口は僅かに40人。漁業が主産業で集落以外は断崖と森に覆われている。この島の東に目を転じると佐世保市が存在する。佐世保と言えば帝国海軍の一大拠点であり、鎮守府や海軍工廠をはじめ、様々な海軍関係機関が所在した場所だ。どうやらこの辺りに高島の戦跡に関するヒントがありそうだ。

 ここで事前に説明しておきたいことがある。実はこの島から離脱する前に、戦時中のこの島の事や戦跡に関して実際に目撃した島民の方から貴重な証言をいただいた。なので、その方が語った高島戦跡や戦中の記憶は赤字で表記する


高島資料2
 上記の図は衛星写真から見た高島の『四階建て』だ。当然ながら通称であり、地元の方がそう呼んでいる。
 地元の方の証言では、この戦跡を構築したのは太平洋戦争真っ只中の1943年(昭和18年)であり、構築した組織は「佐世保防備隊」だという。構築には島の人たちも駆り出され、海砂を何回も現場に運んだそうだ。
 そして兵隊は当時200人ほど駐屯しており、この『四階建て』は防空見張所で頂上に対空砲を据える台座があるという。確かに写真からは頂上付近に丸い台座が確認できるが、はたしてどうなのか。
 これ以外の戦跡も必ずあるはずだと自分は考え、この『四階建て』を核心として周辺を探索してみる事とした。


001_taka.jpg
 この島に渡る手段は釣り船で運んでもらうしかない。宮之浦漁港から約5分で目的の島に到着する。

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 運んでもらったのは「丸銀釣センター」さんの釣り船だ。初めて釣り船というものに乗ったが、めちゃくちゃ早い!
 船長さんに高島に何しに行くのかと聞かれ、『四階建て』に行くのだというと、あ~あれね、といった感じで、地元では有名な構造物らしい。しかし、詳しい事は何もわからない。


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 直ぐに高島が見えてきた。

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 そして、島の左側、断崖の上に目的の『四階建て』が姿を現した。こうして自分の目で確認すると、それが幻でも何でもなく、現実にそこにあるのだと実感できる。

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 やがて船は高島の集落に到着した。静かな、というか人の気配がほとんどしない入港である。

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 漁船はおよそ5時間後に迎えにくるようだ。この島で探索できる時間は約5時間。全力を出すときは今である。

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 上陸してすぐに『四階建て』の方向に歩き出す。明確に道が解っているわけではないが、この際直観に全てをかけてみる。
 見える海は平戸島の南、当時この海域を帝国海軍の軍艦が佐世保軍港に出入りするために航行していたのであろう。


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 海岸沿いに舗装された道がある。

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 この道をいけばどうなるものか、危ぶむなかれ、行けばわかるさ。

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 道から眼下を見ると様々な物が落ちている岩場が見える。この中には当時の物も混じっているのだろうか。
 よく見ると猫がいるのだが、お分かりだろうか?


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 さてしばらく行くと『四階建て』とは違う建造物が見えてきた。この島にはどうやら海軍が駐屯し、施設構築行っていたようなのでこれもその一つだろうか。

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 錯雑地の中に踏み込んでいくと、建造物の基礎部分が現れた。

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 さきほどの建造物の方向に進んでいると、前方に嬉しい塊が見えてくる。

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 間違いなく、軍の境界石だ。

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 「海軍用地」とはっきりと刻まれた境界石の存在は、この場所に間違いなく海軍部隊が存在した何よりの証拠だ。

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 さらに進んでいく。

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 人工物らしき物が見えてきた。

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 入口がある。おそらく当時の物で間違いなさそうだ。

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 内部は何もない。がらんとしている。屋根もない。

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 小便器が落ちている。この場所は暫定的に「兵舎」としておこう。

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 天井から青空がのぞく。

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 レンガの積み方にはいくつか種類があるがこれは「イギリス積み」のようだ。このレンガの積み方でもある程度年代を測定することが可能だが、今回は解らない。

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 入口から再び外に出る。

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 近傍に便所が確認できた。先ほどの小便器もここの物だろう。

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 一升瓶。ほぼ例外なくどこの戦跡でも存在する。当時の兵隊も酒を飲んで一時現実から目を逸らしたのかもしれない。

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 さらに近傍に水の溜まった構築物が出てきた。

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 形状からどうやら貯水槽のようだ。

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 ふと見上げると、木々の隙間から目指す『四階建て』が確認出来た。

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 拡大してみるとより形状がはっきりしてくる。側面に階段が付いているようだ。

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 石垣がある。これも当時の遺構だろうか。

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 不意にコンクリートが現れた。これは道だと考え先を辿ってみる事にする。

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 丸いレンガの付いたコンクリ破片。雨どいか排水管だろうか。

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 明らかに排水用の設備だ。

051_R.jpg
 お!コンクリの壁だ。

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 どうやら建造物を囲う塀のようだ。

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 そして入口の門と思われる遺構が姿を現した。

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 そして複数の一升瓶。

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 塀の内部にはやはり建造物が存在した。

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 草が生えて解りづらくなった建造物の入口から内部に入る。

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 内部はもはや自然に帰っていた。

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 僅かに当時の意匠が確認出来る。

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 唯一残った部屋がある。

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 どうやら便所のようだ。

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 便所は建造物の中でも頑丈に出来ているそうで、いざとなったら便所に逃げろと聞いたとこがあるような、無いような。

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 先ほどの建造物の正面に別の建造物がある。こちらは割としっかりと残っているようだ。

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 内部には何もないが、床も天井も現存している。

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 何もない窓から自然光が差し込む。

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 壁に何かの跡がある。

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 棚でもあったのだろうか。

083_R.jpg
 庭には謎の石組み。貯水槽にも見えないので観賞用の池のようだ。これには少し平和な感じが伺える。この建造物は戦中ではなく戦前に建造されたのではないかと考えるのだが、いくつかの証拠がそれを裏付けてくれそうだ。

084_R.jpg
 外に出る。

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 炊事用の施設があった。

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 煮炊きするための場所。どうやらそれなりの人数がいたようだ。

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 建造物外観。このように意匠の富んだ物を戦時中に造るとは考えづらい。戦前から海軍部隊が駐屯していたと考えるのが自然だろう。
 島民証言:この建造物は「兵舎」であり、当時偽装からか屋根が青く塗られていた。そのことから『青兵舎』と言われていた。


091_R.jpg
 さあ、いよいよ『四階建て』は目の前だ。

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 その姿がよりはっきりと見て取れる。四階建てというが、これ下の部分はただの台座ではないか?

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 道中井戸を発見。

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 錯雑地を抜けて視界が開ける。広がる海は対馬海峡方面だ。

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 そして、舗装された道は無くなった。待ってましたとばかりに再び藪漕ぎが始まった。
 とにかく目に見える目標へ向け突き進む。


100_R.jpg
 だが、またもや違うものが目に入る。崖の上に明らかにコンクリート製の人工物があるのだ。
 これは、もしかしたら観測所かトーチカでは?と思い、先ずはそちらに行ってみる。


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 後方には上陸適地など皆無の断崖が続く。

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 藪漕ぎスタート!

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 すると直ぐに人工物発見

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 かなりしっかりとした壁だ。

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 コンクリートとレンガで何重にも増してある。

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 やはりイギリス積みのレンガ。

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 これは「弾薬庫」なのではないか?そう思ったのは特殊な造りと、兵舎からの距離や立地からだった。
 島民証言:『四階建て』近くの建物は「弾薬庫」だ。


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 内部に入ってみる。

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 入り組んでいるがいくつかの部屋になっているようだ。

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 内部も自然に侵食されている。

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 一部に当時の木材が生きていた。

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 基本的には壁のみで何もない。

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 もう古代遺跡と化している。

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 窓の外からも容赦なく木が入り込む。

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 ということで「弾薬庫」を後にして、藪漕ぎ前に見えたコンクリ製構築物までたどり着いた。
 はたして何であるか。


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 !!
 これは間違いない!砲測弾薬庫だ。形状と戦跡の現状から対空陣地だと思われる


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 近傍であるものを探す。

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 あった。これは砲床。高角砲を据え付けるための土台だ。状況からボルト等は解らない。
 一つあったら四つはあると思え対空陣地!次を求めて隣に移動する。


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 そしてそう通りに直ぐに次を見つける。砲測弾薬庫だ。

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 かなりしっかりとして大きい。それなりの高角砲が据え付けられて居たものと推測できる。

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 これも砲床の一部だ。

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 砲測弾薬庫内部。板張りにコンクリを流し込んだ跡がある。これは戦中または末期の急造品の特徴だ。
 つまり、さきほどの兵舎より後、戦中にこの対空陣地は構築されたと推測できる。


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 コンクリの材質は細かい砂が多く使われているようだ。これら材質から、戦中島民が駆り出され、海から海砂を大量に運んだとする証言と一致する。

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 二つの砲測弾薬庫が見て取れる。この中心に砲があったのだろう。

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 構造が良くわかる綺麗な砲側弾薬庫

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 中心の土をどけてみると、お目当ての高角砲据え付け部分が現れた。

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 円形の構造で、金属製だ。

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 砲と台座を繋いだと思われるボルトも見て取れた。

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 砲側弾薬庫から横に石垣が構築されている。

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 土留めの役割を果たしているのだろう。

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 石垣を見て進んでいると、目の前に『四階建て』の入口が現れた。
 これを見るために九州の先端まで来たのだ。一端対空陣地の探索を辞め、『四階建て』へと侵入する。


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 入口付近。門などは何もない。

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 入口から上を見上げる。無機質なコンクリ製構築物からは先ほどの兵舎にあった遊び心は感じられない。時局の切迫した状況が建造物から感じられるのだ。

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 内部へ。

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 窓からの眺望。ここからは佐世保に入る艦船や航空機が一望に見えるだろう。

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 そして平戸島南端の山々も視界に収めることが出来る。

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 天井には碍子。これは電灯や電気機器の存在と、発電設備の存在の両方を教えてくれる存在だ。

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 窓から見える景色

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 部屋の端に階段がある。これで上に行ける。

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 床に散らばるコンクリの破片

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 どうやら全体は鉄筋コンクリート造らしい。鉄筋やコンクリを豊富に使用し構築された建造物。重要な施設だった可能性が高い。

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 コンクリの間にレンガ。

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 壁にレンガ。これは長手積みというレンガの積み方だが、かなりいい加減なように見える。それだけ余裕が無かったということだろうか。

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 取り付けば橋と橋脚の様子。『四階建て』と向こう側の間は崖となっている。

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 狭い階段を上がり二階へ。
 この時点で気づいたが、やはりこの建造物屋上まで入れても三階しかない。なぜ『四階建て』という通称になったのだろうか?


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 二階の明かり。

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 二階より階段を見る。

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 二階の部屋の様子。ガランとして何もない。『四階建て』は見張所兼兵舎と伝わっているようだが、兵舎なら立派なのが違う場所にある。この場所はもっと違う用途に使用されていたのではないか?

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 部屋の奥より階段方向を見る。

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 外付け階段へ出るための扉から外へ。

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 ベランダになっている。ちょっと怖い。

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 外壁を見てみると雨どいを設置するための金具が見えた。

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 階段を登って屋上へ。

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 そしてあらわれる謎の台座。

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 屋上にはこの台座一つであとには何もない。これを対空砲を据え付けるための台座だと伝わっているらしいが、本当にそうだろうか。

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 台座の中心には円形の跡。そして真ん中の円は空洞になっており、階下に抜けているようだ。

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 何かを据え付けたボルトがある。これは対空砲の物だろうか?
 島民証言:『四階建て』の屋上には対空砲があったのではないか?


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 台座には無数の機銃掃射の跡が刻まれている。米軍は戦中この建造物の存在を知っていたようだ。
 島民証言:戦時中グラマン(米軍艦載機)の空襲が一回だけあった。その時『四階建て』は被弾した。グラマンは2機編隊で飛来した。


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 この建造物が米軍にとって邪魔な存在だったということか?

179_R.jpg
 私見の結論をいうと、この『四階建て』はレーダー(電探)施設だったのではないだろうか。防空用電探をこの台座に据え付け、敵空襲に備えるため、また、佐世保軍港に緊急警報を送るための施設と考えると、この場所にこれだけ巨大かつ堅牢な施設が構築された理由に納得がいく。さらに、台座の中心の形状も、内部が空洞な理由は配線が通っていたためではないか。電力供給能力があったことは間違いないので、電探があったとしても不思議ではない。
 これら重要な施設を護るために、海軍は後方に対空砲陣地を構築したのではないだろうか。


180_R.jpg
 しかし、当時の文献が見つからない今、この考察は推測の域を出ない。
 全てを知っているのは、この『四階建て』のみである。


181_R.jpg
 ある程度満足のいく考察が出来た時点で、そろそろ次に行く時間だ。

183_R.jpg
 もう一度だけ、台座から見える風景を見ておく。
 もう二度と見ることが出来ない風景かもしれないのだから。


184_R.jpg
 島民の証言にあるように、『四階建て』の壁には機銃掃射の跡がいくつも残っている。

185_R.jpg
 これらは当時から今に伝わる戦争の生き証人である。

187_R.jpg
 『四階建て』台座部分。鉄筋コンクリート造とは言え、もう70年以上の時が過ぎた。近くない将来に何もしなければ崩壊することは確実だろう。

188_R.jpg
 さて、後方の対空陣地の探索を再開しよう。

189_R.jpg
 先ほどの対空陣地と明らかに違う構造の壁だ。

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 かなり分厚く丁寧に構築されている。

191_R.jpg
 その先に穴が開いていた。直径にすると2.5mほど。これは砲塔ターレット(砲基部を入れるための穴)だろう。
 つまりかなり大きな高角砲が配置されていたのか。


193_R.jpg
 やはり先ほどとは異なる砲側弾薬庫だ。

194_R.jpg
 連なるように一体で作られている。

195_R.jpg
 奥行きはあまりないが、その分かなり分厚い。

196_R.jpg
 高角砲陣地事態もかなり大きいように感じる。

197_R.jpg
 これは連装砲があったのではなかろうか。
 海軍の主力対空砲は(四十口径八九式十二糎七高角砲)があるが、これは単装砲と連装砲存在している。この形状の違う対空砲陣地は据え付けられた砲の種類が単装と連装と異なっていたための計画仕様の変化なのではないだろうか。


198_R.jpg
 詳細は解らない。情報を持っている方がいたら是非とも教えていただきたい。

高島資料4
 上記が『四階建て』を中心とした対空陣地の配置図である。

206_R.jpg
 さて、『四階建て』を後にして、向かったのは島の最高点である。この場所にはかつて兵舎や対空機銃陣地があったと証言がある。
 島民証言:山頂には兵舎や対空機銃とその台座、炊事場や風呂まであった。


207_R.jpg
 山頂付近には破片が散乱する。あきらかに爆破処理の痕跡だ。戦後に施設を爆破したのか?しかし、島民はこう証言する。
 島民証言:兵舎や機銃陣地は爆破されている。それをしたのは日本軍自身だ。進駐軍や戦後の事ではない。


208_R.jpg
 なんと日本軍自らの手で施設を破壊したというのだ。どうしてそのようなことになったのか。

209_R.jpg
 話を聞くと興味深いことが解った。この島の価値は大戦末期には失われていたようなのだ。
 島民証言:対空砲は終戦前に取り外され、決戦正面(本人談)に再配置されるために移動した。


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 つまり、本土決戦を目前に控え、対空防御の必要性より砲を対着上陸の為の海岸砲台に使用するために移動させたということだ。これが事実なら島の価値は失われ、兵員も大幅に削減される。そして、使用されなくなった施設は米軍に使用される恐れもあるため、自らの手で爆破処理したのではないだろうか。

211_R.jpg
 だとしたら少し残念だ。この場所には立派な遺構が存在していたかもしれない。

212_R.jpg
 巨大なコンクリの塊が目の前に現れた。

213_R.jpg
 下部に穴が開けられている。

214_R.jpg
 内部を見ると貯水槽のようだ。これも使用出来なくするために下部に穴を開けたのだろう。

215_R.jpg
 撤収時に施設を破壊するのは常套手段だ。当然行うだろう。
 この穴は指向性爆破薬で行ったのか、それとも手作業か。


216_R.jpg
 こちらは炊事関係の施設のようだ。

217_R.jpg
 まともに残っているのはこれと貯水槽くらいだ。

218_R.jpg
 ちなみに山頂対空機銃は撤収前に試射を行ったらしい。
 島民証言:戦中山頂に備え付けた機銃は試射を行った。


219_R.jpg
 全ての探索を終え、下山途中に最後の遺物を発見した。境界石である。

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 (海十五号)と刻まれている。

221_R.jpg
 そしてしっかりと(海軍用地)とある。やはり高島は海軍の島なのだ。

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 探索終えて、集落へ戻る。もうすぐ迎えの船の時間だ。

223_R.jpg
 学校の近くを通る。かつてこの島にも学生が居たのであろうが、今は校庭もあれている。
 この島に過去何があったのかを知る人は、もうほとんど残っていない。


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 船に乗り込む前の数十分間、偶然島民の方と話す機会を得て、貴重な高島の戦争の話を聞いた。この小さな島の戦跡が、佐世保地区にとってどのような意味を持っていたのかの一端を解き明かすヒントをいただいたようだった。
 そして、対戦末期の惨状もお話してくれた。
 島民証言: 高島を空襲したグラマン2機は宮之浦漁港をそのまま空襲した。当時そこには軍に徴用された小舟が存在し、それが被弾炎上した。負傷した兵隊が高島に運ばれ、傷だらけの兵隊が民家で風呂に入る場面等を目撃した。負傷した多くの兵隊は亡くなった。自身は空襲時、民間で掘った防空壕に入っていた。
        高島から佐世保に向かう100機程の大編隊の艦載機やB29爆撃機を目撃した。その時高島からの砲撃は無かった

 まさにこの上空を佐世保に向けて敵の大編隊が通って行ったのだろう。今は青い静かな空が広がるばかりである。


233_R.jpg
 以上が高島にある戦争遺跡探索で判明した全てである。おそらくこれ以外にも戦跡はあるのだろう。伝わるところによると、探照灯や対潜水艦用の聴音所もあるようだ。しかし、時間は有限だ。もう帰る船が来る。

234_R.jpg
 高島に眠る謎の戦跡『四階建て』。それは海軍の重要な施設だったのか、それとも対空見張所だったのか。本当のところは謎のままだ。しかし、多くの戦跡がこの島にある事だけは事実であり、戦争はこの島にも痕跡を刻んだのである。

236_R.jpg
 また訪れる事が出来るだろうか。そんな事を考えつつ、帰路の船に乗ったのである。

高島資料3
 最後に高島戦跡の配置図を掲載する。参考までに見ていただきたい。


参考文献等
〇 長崎新聞(2005.10.01)戦争の記憶9 高島の「4階建て」終戦の年、激しい空襲
〇 Wikipedia 四十口径八九式十二糎七高角砲


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  1. 2023/03/12(日) 11:08:21|
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ブログ読んでたら自分もレーダー施設の考察支持します
当時の発電機とか残ってたらと思うけど貴重な金属使われてるし破壊して撤収より運びますよね😥
地震特集番組でトイレは生存率高まるって言ってたのも思い出しました😅
  1. 2023/03/18(土) 17:57:48 |
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