新年あけましておめでとうございます!今年も廃墟を旅すると東雲みょんをよろしくお願いします!
ということで、新年が始まってしまいました。2014年、いったいどんな年になるんでしょうか。皆さんの今年が良くなることを願っています。
突然ですが、新年一発目からの企画発表をです!新年から連続して、
『戦争遺跡特集、よく分かる本土決戦!』をお送りしたいと思います。

まずは、
【八丈島要塞 神止山司令部壕】です。ある情報をしって八丈島地下要塞のことを知って以来、いてもたっても居られなくなって行ってきました。近日公開!

近日公開

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こちらは【八丈島要塞 鉄壁山司令部壕】です。こちらは神止山司令部壕の上位に位置する旅団司令部壕です。司令官室や参謀室など、コンクリート製の部屋の作りが鮮やかです。

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八丈島にある重砲の射撃陣地跡【直射砲台】です。

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所変わって、これは神奈川県三浦半島に構築された【蛭田の鼻洞窟陣地】です。幻の本土決戦!その実情を各地に残された陣地や拠点などを踏まえながらお伝えしていきたいと思います。

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こちらも同じく三浦半島の洞窟陣地【三戸南洞窟陣地】です。海岸線に構築された水際狙撃陣地跡です。

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乞うご期待!
- 2014/01/09(木) 23:27:45|
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そこにあるのに気づかれない者忘れられた火薬庫

千葉県某所。
この場所を発見したのはふとした偶然からであった。なんかいい廃墟ないかな~と何気なくネットを閲覧していると、なんとも魅惑的な物件が掲載されているではないか。よしこれだ!と思って調べてみるも場所の特定はならず、わかっているのは写真から見て取れるなんとなくの風景のみ。このような場合、地形に合う場所はないかと地図を血眼になって探すものである。そして、それは見つかった。

この物件はどうやら戦時中に作られた火薬庫とその製造工場のようであり、万が一にも爆発事故が発生しても大丈夫なように山間部の隠れた場所に建造されたようだ。なのでちょっと見ただけではそこに廃墟があることはわからない。

当初は封鎖されていない岩盤を掘削してできた道を発見しそれを進むことにした。

だがすぐに障害発生。入り江のような場所に漁村?がある。そして人の気配・・・

これは危険だと感じ引き返す。
簡単な道を簡単に発見し簡単に進行できるならなんの苦労もいらない。だが、その道が通り抜けできない以上残されているのは鬱蒼とした山を抜ける険しい道しかないのだ。いざ前進!

予想以上に険しい道に足を取られつつ進んでいくとなにやら人工物が現れた。目的の物件は近いようだ。

そして木々の間からふいに顔を出す建造物。どうやらあれが件の物件らしい。

近くまで降りていく。

細長い建物が姿を現した。

入り口がぽっかりと開いている。

内部に侵入しよう。

細長い建物の内部はごらんのよう。何も残ってはいない。

だがひとまずここが以前ネットで見た物件であることは確認できた。さらに探索を続ける。

貯蔵タンクか何かの台座と陶器製のつぼ。

このような形のつぼは戦争遺跡でよく見かけることがある。

さらに進むと開けた場所に出た。

誰もいない。静かな場所に朽ちた建造物。またしても日常の裏側に到達した瞬間であった。ここはまさしく非日常。

開きっぱなしのドアから中に入ってみる。

建物内部は時間をかけた自然な崩壊で朽ちようとしていた。

暖かな木漏れ日が内部を照らす。

さび付いた計器類は黙ったままそこにいる。

長い時間の中をさまよう。

先ほどの部屋から奥の部屋へと進んだ。

窓ガラスもほとんどない朽ちた光景。

廃墟美とはまさにこのような物件で見ることができる光景のことだ。

落ちた階段。二階にはもの上れないようだ。

これは産業遺産系廃墟にはよく見かけるもの。工具掛け。

別の建物。先ほどのものよりさらに崩壊の具合が激しい。倒壊するのも時間の問題だろう。

倒壊する前に内部へ。

内部の様子。半壊状態。

半分土砂に埋もれたドアが時間の経過を感じさせた。

割れ残った窓ガラスが不思議な風景を現出させる。

この美しい光景もそう長くないうちに見られなくなるんだろうな。そう思えば思うほどいなくなる者の姿をカメラに収めておこうとシャッターを押す。廃墟で写真を取るということは、失われし者の記憶を後世に留めて置こうとする哀愁の念から起きることなのかも知れない。

そこに人の歴史が確かにあったのだという記憶を記録する。

それは今この瞬間そこに居合わせた自分たちにしかできないことである。廃墟との出会いは一期一会で再会はできないのである。

窓枠。

すっかり長居した。そろそろこの建物を後にする。

後ろから一枚。

か~いいね!!廃墟って!

外より見た窓枠。

そして内部。静かな時間が流れさる。

この風景をもう一度見ることはできるだろうか。

さて、建物の影に隠れえるようにしてあった封鎖された道。地下壕のようだが。とにかく前進!

気合と根性で進入成功。疲れた・・・

内部はごつごつとしている。固い岩盤なので掘るのは大変だったろうな・・・。なぜかコンクリートで補強されている部分。

道の脇に突如あらされる謎の部屋。これが火薬庫だろうか?

内部はこのような状況。

部屋の外側はしっかりとコンクリで塗装されている。どうやら火薬庫のようだ。

壁には碍子。電気は通っていたらしい。なにせ真っ暗です。

奥に進めばこのような開けた場所。上に穴が開いているがいったいなぜだろう?

おお!レールが敷かれている!この坑道全体はトロッコなのど資材運搬車が通るための軌条がしかれているのだ。最高!

出口。先に同じような入り口がある。

外に出るとやはり敷かれているレール。

反対側の坑道に入ってみる。

入り口には鉄製の枠がはめられていた。

この坑道はいくつかの火薬庫とつながっており、レールも坑道を通り火薬庫につながっている。

この分岐、見事ですね。

まっすぐ奥に伸びる坑道。

階段が見える。

この階段の先には貯水池があった。分岐を右に曲がってみよう。

と、その前にある廃線。廃線まで見られちゃう廃墟。

カーブに廃墟の神が宿る。

そこには朽ち果てた火薬庫が存在した。

素敵な鉄製のドア

そして素敵なドアノブ。

元来た方向とは反対側にも壕口。まるで南方戦域に築かれた要塞の入り口のようだ。

再びまっすぐな坑道に戻る。

別の火薬庫。

この火薬庫には「第八火薬庫」という木製の看板がかけられている。

いざ内部へ。

と思ったが、崩壊が激しく進入不可能。

なので元のまっすぐな坑道に出て先に進んでいくと、道が二股に分かれている場所に出た。

右の真っ暗な場所にあった部屋。掘削されているだけ。

なので左の明るいほうに進んでみるとなにやら綺麗に作られたゲートが出てきた。

ゲート入り口には「6」の文字。ここは第六火薬庫だろうか?

先に進む。

するとあたりが一気に開け、見晴らしの良い場所に出た。

うおー!海だー!
先に見えるとがった岩。思えばあれを目印に地図を探したのだ。実物に合えた。

気づけば足元に白い花がたくさん咲いていた。これなんて品種だったかな?忘れた!

誰もいないプライベートビーチ。きれいだ。

さらに進むと同じような地形の場所が現れた。ここも見晴らしがよく空が見える。

以前はここで荷物の搬入などをしていたのだろうか。クレーンらしきものと遺構があった。

さらに先にはまたもや暗く長い坑道。前進する。

一番最初と同じようなつくりの火薬庫発見。

「第三火薬庫」と書かれたドラム缶。それにしても水蓄とはなんだ?

答えは中に入ってみてわかった。この場所に水槽か何かを置いて水を入れ、その中に火薬類を保管していたのだろう。そんなことしたら火薬が濡れる?自分もそう思います。
それと、この部屋やたらオオゲジがいますね・・・

まだまだ先が長い。

火薬庫の前には必ず井戸のようなものがある。防火用水だろうか?

その前にはコンクリートの壁と鉄製の重厚なドアのついた火薬庫。

思わず息を呑む。崩れた天井からは鉄骨が見えている。こんな部屋が人知れず真っ暗な坑道に存在してしたのか。

部屋のかなに落ちていた木製の看板。すべて読み取ることはできなかった。

坑道の最後にあった火薬庫。木製で崩壊の度合いが高い。

坑道出口。封鎖されている。実はこの先に大規模な火薬製造工場があったようなのだが、近年取り壊されて別の建物が建っているようだ。もう少し早く来ればよかったと悔やまれる。

もうこの坑道に先はない。元来た道を引き返す。

先ほどの開けた場所に出た。鉄製の遺構がある。

ここにもしっかりあるレール。

道は二つに分岐している。上の坑道に入る。

コンクリートの重厚なつくりの火薬庫。

もうほんとここはすごい。次から次へと遺構が現れる。

きれいに掘削された。場所を発見。先に進んでみる。

すると石組みされた祠のような小さな火薬庫があった。

「第一火薬庫」とあった。火薬の発火に使う雷管の貯蔵庫のようだ。

迷路のように複雑に入り組んでいるつくり。

先ほど入らなかったコンクリート作りの大きな坑道に入ってみる。

入り口は丁寧にコンクリートで舗装されているがあとはでこぼこ。暗い道が続く。

奥まで進んでみたが行き止まり。この先は別の建物になっているのだろう。

これがこの「忘れられた火薬庫」のほぼ全体像である。

偶然発見した物件ではあったが、その予想以上の規模と魅力に終始圧倒されっぱなしの廃墟であった。

日本にはこのような廃墟がたくさん存在しているのだろう。誰を待つでもなくただそこにひっそりと。
自分は彼らにこれからも会いに行き続けることだろう。

そこに廃墟が在る限り。
おまけザ・トイレ
いや~ここにもあったよ良いトイレ!

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超お久しぶりですね!
- 2013/01/13(日) 17:10:09|
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66年目の終戦記念日を迎えて

1945年8月15日の正午、昭和天皇陛下の聖断の旨を伝える玉音放送が焼け野原に響いて早66年の歳月が流れた。この間に様々な事が起きた。しかし、今一度日本は東北大震災の惨禍という戦後最悪の国難に遭遇した。今年の終戦記念日はこの大惨禍により、戦後の焼け野原を想像した方も多いだろう。
自分は毎年終戦記念日には靖国神社に行っている。
靖国神社に付いたのは午前11時30分ほどであった。その時にはすでにたくさんの参拝客が押し寄せており、参拝者の列はかなり長い状況だった。自分は列の最後尾に並び静かに拝殿の前まで行くのを待った。
拝殿のすぐ前まで来た時に驚くようなことが起きた。
この時同時に武道館では天皇皇后両陛下列席の下、戦没者遺族などが慰霊祭を行っていたのだが、その中継放送がスピーカーで流され始めた時だ。まず、国歌が流れたのだが、何千人という列に並んだ人たちが誰とはなしに自然に国歌を歌い出しそしてそれが全体に伝播していった。さらに、正午の黙祷の時になると、中継放送からの「黙祷」の声とともに一斉に並んでいた人や周りにいた人全員が黙とうした。先ほどまでうるさくガヤガヤとしており、足音や何かの音がしていたのに、その瞬間に蝉の声だけになったのだ。その時思った。これが日本人の真の姿なのだと。今何千という人たちは戦争で散って行った英霊に対して黙とうしている。これが日本人の中にある真の心なのだと。それを強く思ったのだ。
日本人は根底で意識を共有している。決してバラバラではない。そして日本はまた蘇る。
それを確信した瞬間でもあった。
そのような中、自分は列の最前列、拝殿に到着した。そして靖国に来たら一言だけ祈るいつもの言葉を心の中で唱える。
「英霊よやすらかに」
日本の繁栄の永久を祈念しつつ、靖国神社を後にした。

みたま祭りの際の靖国神社。

遊就館に展示されている零式艦上戦闘機52型。
- 2011/08/16(火) 00:22:44|
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東北方面で超大型地震が発生した。政府はこれを、「東北地方太平洋沖地震」と命名した。
今回の地震はマグニチュード9.0という世界最大級の規模となった。
現在の死者行方不明者は2000名を超え、確認できていない人数は数万人、宮城では、死者の数が一万人を超える見通しが確実となったようだ。
現地では自治体が丸ごと壊滅し、この状態は太平洋岸一帯の全ての地域に適用されるようだ。
だが、現地の被災者の方は不安の中でも平静を保っている。略奪や暴行が起きている兆候はない。世界の大災害では必ずと言っていいほど起きているこのような行為が、日本では起きていないのだ。
そして、被災者は互いに助け合って励ましあい、物資窮乏の中頑張っている。
ある被災者の方が言っていた、「また立て直しましょう」という言葉は、この未曽有の大災害の中、希望になる。
日本は過去、幾度となく壊滅的な被害にあってきた。それは地震や台風といった大災害や、戦争での大空襲による戦災であった。しかし、その都度奇跡的な復興を遂げてきた。今度の大規模災害も必ずや復興できるはずだ。
日本はけして孤立してはいない。世界各国の政府・機関・地域が緊急救助隊を結成し日本に急行している。
日本国内では、自衛隊が十万人の現地派遣を決定し、それをバックアップする隊員を含めると、ほとんど全部隊が動いている。すぐさま現地入りし、すでに人命救助で大活躍している。そして、警察消防自治体企業が全力を挙げて活動している。
日本人は不屈の精神力を持っている。今現在の最悪の状況を乗り越え、必ずや復興し、東北地方の生活と経済の立て直しが為ることと信じている。
なお、福島原発などの良からぬ妄言流布を信用せず、ここは政府が出す情報を信用し、秩序ある行動をとるよう心がけていきたい。
日本民族が結集すれば、越えられない壁は無いのである。
- 2011/03/13(日) 17:04:43|
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