こんな廃墟が身近にあるんだねステンドグラスと木漏れ日と

どんな小さな廃墟にもそれぞれの記憶を持っている。廃墟に入ってみて初めて、それが持つ魅力というものに気づくことができるのだ。
今回紹介するのは、そんな小さな名もなき廃墟の記憶である。

ある国道沿いにある廃墟。見た目は一軒家のように見えるのだが。

入ってみるとやっぱり一軒家だった。

入ってすぐに高い天井。シャンデリアのような照明がある。

特に何かがあるわけだは無いようだ。

洋風なつくりのようで、ところどころの作りにそれが表れている。

一階には何もないので二階に上がる。

すると二階はすぐに用途不明の開けた空間になっている。

丸窓。

絵になる照明と窓ガラス。

隣の部屋に入ってみた。

実はこの廃墟。最初モデルルームかと思っていたのだが、生活感がしっかりあるので、どうやら人が住んでいたらしい。

もうだいぶ昔に誰もいなくなったのだろう。

部屋から出るときに前を見ると、ステンドグラスのようなものがあることに気付いた。

洋風の廃墟らしいものだが、物珍しいステンドグラスが独特の雰囲気を醸し出している。

奥の部屋に行ってみる。

すると、大きく開いた窓から外が見えた。

窓ガラスなどがなく開放的な部屋。ベットの骨組みが転がっていた。

一見すると非常に美しい光景だ。

さらに階段があり、ロフトになっていた。

一見何もないように見えても、記憶はちゃんと存在している。

淡い木洩れ日が差し込む廃墟は今も、誰かの帰りを待つようにそこにあり続けている。
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- 2015/06/07(日) 16:56:32|
- 一軒家系廃墟
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たくさんの記憶を残したまま朽ちていく者赤別荘

車で走っているだけでは到底見つけることはできないだろう。この廃墟をまるで隠すかのように周囲は木々で囲まれている。なんどかここを見つけるために探索をしたのだが、そのどれもが失敗に終わっており、今回は信頼できる情報を入手して再度チャレンジしたのだ。
この竹林の向こうにそれはあるのだ。

これは想像していた以上に良い物件であると確信した。この廃墟こそ通称【赤別荘】だ。
赤別荘とはただの通称であり、建物の屋根が赤いだけでこの通称になったのだろう。ちなみに、別荘ではないようであった。
竹林を抜けるとそこにある幻想。まるで別の世界に来てしまったようであった。

さっそく建物正面にやってきた。正面は門などはなく、開けていた。

すぐに現れる朽ちた建物。

どうらや納屋のようだった。

竹取物語の世界にでも来てしまったのだろうか。竹林というのは幻想を見せてくれる。

いくつか納屋がある。いい味を出している。

和風の建築と洋風の建築が同じ敷地内に混在する。当時はモダンなものだったのだろう。実際この建物はある雑誌に取り上げられたこともあるようだ。

そして、メインの入り口が見えた。

和と洋。歪な関係が廃墟としての格を上げる要素になっている。

これと同じような廃墟を前に見たことがある。「華麗なる一族」というその廃墟も、和と洋が歪な関係性を持って存在していた。

激しく破壊されている。それが自然によるものか、それとも人為的なものなのかはわからない。

吹き抜けの天井。空が見える。

朽ち果てる寸前の廃墟美。この一瞬の風景の先には完全な崩壊が待っている。一期一会の風景。

この建物の中では新しめの空間。しかし、当時を偲ぶことはできない。

毎日誰かがこのドアノブに手をかけてドアを開き、動いていたのだろう。あるとき、ドアノブを掴む手が消えた。そして長い時間が過ぎた。

どの廃墟にも思い出が存在する。

そんな思い出を色濃く残す部屋があった。

家族がこのテレビを見て一喜一憂したのだろう。

どこかで手に入れて団らんの場所に飾ったのだろう。

長い長い歴史の中の声を聴いてきたのだろう。

春夏秋冬の四季おりおりの景色を、この庭が見せてくれていたのだろう。
そんな思い出だけが、記憶だけが、この場所に今も滞留している。

写真というのはとてもとても生々しいものだ。この場所で実際に生きていた人たちがいた証明なのだから。
この人たちが今も存命なのか、それとも、この世にはいないのか、それもわからない。ただ、この場所に廃墟がある。それは現実だ。

今までもいろいろな廃墟に行った。だが、こんな生々しい記憶がある廃墟はそうなかった。

家族の暮らしがそこにあったのだ。
そして、今は誰もいない。時間という無情な現実は等しく世界を覆う。この廃墟が見せる風景はすべての人と世界に訪れる未来の運命だ。

古い文字の文書があった。どうやら金の借用書のようだ。

当時はこの風景を住人が見ていた。淡い木漏れ日の庭が想像できる。
今は自分が見ている。朽果てた廃墟の荒涼とした庭だ。

周囲には音も聞こえない。

ぐちゃぐちゃに物が散乱している部屋。

ハンガーには何も掛かっていない。

この廃墟にはやけに大正の新聞紙が落ちている。大正十三年は西暦1924年だ。第一次世界大戦が終わって間もない。次の大戦までの間の期間だ。

当時を伝える記事。陸軍という文字が時代を感じさせる。

ものすごく重厚そうな金庫。扉は開いており、中身はなかった。

開ききった扉。その先は、

二階に続く階段だった。

この風景がまた異様だった。

まだ、そこに誰かいるかのような空間だった。

暖かい木漏れ日の中に白い椅子とテーブル。

さっきまで誰かが座っていた。といったら信じるだろうか。

テラスの先に二階の空間。

美しい窓枠は戦前のものだとすぐにわかる。

二階には学術本や薬ビンが散乱していた。何かの研究でもしていたのだろうか。

そして、貴重なこの赤別荘建設当時の写真が出てきた。

建設当時の大工たち。和洋折衷な建築は最初からだったようだ。

少し建築が進んでいる。それにしても、ここの住人はお金持ちで写真が好きだったのだろう。学術文化レベルが非常に高かったものと推測できる。

隣に無線機のようなもの。

さらに奥の部屋へ。

怪しい薬ビンが並んでいる。

静かな部屋だ。

滞留する時間だけが感じられる。

どんな人がどんなことをしていたのだろう。

一升瓶の中には蛇が漬けられている。

骨組みだけのベッド。寒々しい感じだ。

机の上には斜陽に照らされいろいろなものがある。

窓の外には朽果てようとしている屋根が見える。

どうやら例にもれずこの廃墟にも戦争は押し寄せたようだ。これは昭和19年の頃の雑誌だ。中身は空襲の際の防火について書かれていたが、B29による大規模焼夷弾攻撃にはなすすべもなく、全国の都市が焼き払われていった。

奥の奥に洗面所があった。

使わなくなって久しい。

この場所は今も主の帰りを待っているのだろう。朽果てるその日まで。

再び先ほどの部屋に戻る。

さっきの無線機のような機械がまたあった。白熱電球がそのままついている。これはなんだろうか。

病院でもやっていたのか。それとも大学の教授かなにかだったのだろうか。

部屋を見渡す。均整のとれた間どり。物が散乱する部屋。

移る景色はそこまで変わらなくても、それを見ていた人は今はなく、移りゆく時間はすべてを変えた。

この廃墟が自然崩落するとき、この場所の記憶もまた消えるのだろう。

永遠というものは存在しない。

記憶も思い出も永遠ではない。

だが、諸行無常こそこの世の心理。廃墟美とは滅びの寸前の輝きだ。

ここに廃墟美が存在する。そして、滅びゆく記憶と思い出が存在する。
赤別荘は、幻想の時の中に溶け込むように存在している。
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- 2014/03/02(日) 15:21:37|
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