廃墟を旅する 

産業遺産や戦争遺跡、時を超えた郷愁への旅路へ・・・

【戦争遺跡】川棚魚雷発射試験場

平和な時代に語りかける者達

川棚魚雷発射試験場
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まだ夜も明けやらぬ薄暗い海。長崎県は大村湾内にその廃墟はある。
今回紹介するのは、大日本帝国海軍が使用した魚雷の、発射試験場跡でる。

それは、終戦から70年以上たった今でも、何かを語りかけるように存在していた。


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見晴らしの良い高台から海を見下ろすと、特徴的な構造物が見て取れた。どうやらあれが目標のものらしい。


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海の上に突き出すように存在している。


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近づいてみると、ちょうど日が昇ってきた。朝日を受けて無機質な塔は明るく輝き始める。


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塔に続く道を歩いていると、隣に神殿のような建物が現れた。これも遺構の一つで、魚雷を発射する前に調整するための施設だったようだ。


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L字に折れ曲がった道が海の上に伸びている。

ここでこの施設の紹介を軽くしておこう。
この長崎という場所には海軍にとって非常に重要な施設が存在していた。それが佐世保鎮守府である。この佐世保鎮守府の近くには、佐世保海軍工廠という海軍の巨大工場が存在し、ここで多くの兵器が製造された。そのなかには魚雷も含まれていた。魚雷とは、魚型水雷の略称で、水中を走行し、艦船の水面下に衝突し、爆発して破孔を開けるための兵器である。その特性上、水中をうまく走行するかどうか試験する必要があった。その結果、佐世保海軍工廠で製造された魚雷の発射試験場が、大正7年(1918年)にこの地に建設されたのだ。
この場所は片島という元々は島だった場所なのだが、大東亜戦争勃発後の昭和17年(1942年)、この川棚に佐世保海軍工廠の分廠が設置されたことに伴い、試験場の施設が拡張され、片島は海峡が埋め立てられ、地続きの半島になったそうだ。


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コンクリートの台上には、レールが設置されていたであろう跡が残っていた。


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ふとみると、会場に箱のような遺構が見て取れた。あれは魚雷を監視するための施設の跡だ。


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朝の陽光が雲間から海へと落ちる。


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L字の台上を渡って行くと穴の空いた四角いものがあった。おそらくは海上に魚雷を着水させるためのクレーンの跡だと思われる。


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横には海上に降りるための階段がある。ここに短艇などが横付けされたのだろう。


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塔まで来た。
島影から朝日が顔を覗かせる。非常に眩しい。


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70年という時の長さを思わせる光景。大崩落している。


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塔を見る。本来は左右に建っていたのだというが、右の塔は崩落してしまったのだろう。一部しか現在は残っていない。
この場所は良い釣り場になっている。


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先ほどの監視場もここから見える。


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異様な光景にも見えるが、ごく自然にも見える。


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魚雷調整場に目をやる。やはり神殿のような作りに圧倒される。


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再び塔へ。大正の建築によくある、簡素だが機能的な建造物だ。


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内部を観察してみよう。


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と、その前に特徴的な遺構。おそらくここに魚雷を着水させ発射していたのだろう。溝は開閉式の扉と思われる。


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内部の様子。二回部分はなくなり、ぶち抜きの空間になっていた。


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レンガで壁を作り、その上からコンクリートで塗り固めたようだ。


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島々が観察できる。


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丸い空間からは大村湾の凪いだ海が雄大に広がる。


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そしてあの四角い遺構も。


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そろそろ別の場所を見に行こう。


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正面から調整場を見る。


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奥の道を進み、監視場へ近づく。


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途中侵食されて道が崩落していた。


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近くまで来た。監視場まで行く道は、存在しなかった。


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海面に降り注ぐ光の柱。
日本の様々な場所に旅してきたが、自然の見せる表情は一度として同じことは無かった。一期一会の出会いは常に感動をもたらしてくれる。ここでも、そんな自然の一面が、ごく当たり前に存在した。


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そしてその自然の中に、不自然な遺構は何故か神々しくも映った。


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監視場を後にし、調整場へ。先ほどの台上の見事なアーチが見える。


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この施設は軍事的な遺構とは思えないような構造をしている。


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隣に小さめの建物。


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教会か何かの遺構と言っても信じるだろう。


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この見事なレンガと石積みの構造。手を入れて保存されてしかるべきだと思うが
そういえば軍艦島が世界遺産になるようだ。複雑な気持ちである。


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さっそく内部へ入ってみよう。


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内部の様子。白いタイルが異空間に色をつける。天井はすでに無い。


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天井のない空には鳶と思う鳥が飛んでいた。


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当時を思わせるようなものは何もない。ただ、静寂に包まれた空間があるだけだ。


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当時の最先端だった魚雷を調整する施設は、現在は自然と一体化しつつある。


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時間の無常さを確かめながら更に奥へ。


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やはりここにも何もない。


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一本の木の成長は、忘れられた場所を象徴するかのようだ。


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この窓枠も実に芸術的だ。


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室内には、今では何に使うのか分からない物が幾つか。


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壁には碍子が残る。


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戦場遺跡にはありがちな光景だが、あの時代をこんなふうに放置してしまって良いものだろうかと考えてしまう。


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長い年月が「戦後」と言われて流れ過ぎた。その年月の中に戦争遺跡は取り残されている。


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今戦争遺跡の痛みは激しく、崩落の危機にある。


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戦後70年を迎えた現在。


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もう一度これらの遺跡の声なき声に耳を傾けてみよう。


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そうすれば、この国がかつて大戦争の渦中にあったことを再認識出来るはずだ。
そうすれば、この平和な時代がいかにして成り立ち、そのために散っていった多くの英霊の声を聞くことが出来るだろう。


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そんなことを思いつつこの地を後にする。


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悠遠の神世より降り注ぐ光の柱は、静かに朝の大村湾を照らしだしていた。

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さぁ行こう!自分の目で時代を確かめに!
  1. 2015/08/10(月) 22:06:27|
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【戦争遺跡・地下壕】八丈島要塞 直射砲台

敵上陸浜橋頭堡粉砕!島防衛の夢かけら

八丈島要塞 直射砲台
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八丈島には有名な大阪トンネルというトンネルがある。そのすぐ横に異様な構造物がぽっかりと口を開けているのだが、それが今回紹介する通称直射砲台だ。


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この砲は直射というだけあって米軍の上陸想定浜に砲台が向いている。米軍が上陸中、あるいは初期の橋頭堡を作っている間に、この砲台に設置されていた重砲で米軍の側面を狙い撃とうと考えたのだろう。
このような砲台跡と見られる跡は島の各所に存在している。


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アーチ型に作られた砲室。この作りは本土のそれと変わりは無いように見える。


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アーチ外側部分。かなりの厚みを持ったコンクリートの壁。米軍は上陸侵攻の際、戦艦からの支援射撃も行うので、築城はより頑丈にする必要があった。


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この台座の上に砲が設置されていたのだろう。


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砲室のすぐ脇にある入り口。


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内部はコンクリートの小さな部屋。弾薬庫なのか、兵員の待避所なのかはわからない。奥に細い道が続いている。


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この豪は湧き水があるらしく、床はだいぶ侵食されている。


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砲室から奥に伸びる通路に進む。


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広い通路から枝分かれした細い通路。ここに進む。


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すぐに広い部屋。これは兵員の待機場所であろうと思う。


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細い通路は奥に続いている。


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さび付いた鉄杭が壁に突き刺さる。


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非常に狭い通路。


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通路は左に何回か枝別れしているが、崩落が激しく進めなかった。


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土質が急にやわらかくなった。


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この先はまだまだ続いているのだろうが、ここから水が流れ出しており、崩落も激しいので前進できず、来た道を引き返すことにした。


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先ほどの広い通路の先。埋め戻しなどで封鎖されていた。この先は大阪トンネルの反対側の斜面に出るらしい。


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砲室から道路を見る。


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上陸想定浜方面を見る。白波が砕けては散りを繰り返していた。
この浜に米軍の大部隊が殺到してくることは、もうないだろう。


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上陸想定浜付近を散策中にトーチカらしきものを発見。


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砲爆撃されたらひとたまりもなさそうだが、上陸想定浜を側射できるように作られているので、たぶん当時のものだろう。

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内部の様子。


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天井には空気の取り入れ口なのか、土管が突き刺さる。


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今は穏やかな風が吹き抜ける海岸。


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鉄の暴風が吹き荒れていた可能性もあったのだ。


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事実と幻想は紙一重の場所で息を潜めているのである。


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直射砲台の壕内図。縮尺や細部は適当です。




お詫びと訂正
新年企画と称してよくわかる本土決戦を最後まで掲載する予定でしたが、時間が圧倒的に足りず、予定を変更して残りの二つの壕は後日改めて掲載しようと思っています。すいません。
次回からは、平常の廃墟物件を掲載する予定です。

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八丈島にはまだまだ行くよ!
  1. 2014/02/09(日) 09:33:14|
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【戦争遺跡・地下壕】八丈島要塞 鉄壁山地下司令部壕

今明かされる八丈島の大迷宮!鉄壁山司令部に潜入!

八丈島要塞 鉄壁山地下司令部壕

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知られざる八丈島地下要塞シリーズ!全回の【神止山地下連隊本部壕】に引き続き、今回は【鉄壁山地下司令部壕】を紹介したい。
この鉄壁山司令部壕は前回の神止山本部壕の上位に位置する独立混成第67旅団司令部壕である。場所は島の南東方向に位置す東山(三原山)山中の通称鉄壁山に存在する。神止山本部壕と違い、この壕は整然と綺麗に作られており、さすが総司令部壕といった構造になている。

防衛道路と言われる林道から鉄壁山方面へと続く道へ入るところから紹介した。


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まずはこの道を見つけることが困難であった。何しろ下見に来た深夜3時には全く分からなかったのだ。再度朝探索してやっと発見した。


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整備された林道が続く。先へ進む。


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やがて左に怪しい場所が現れた。


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これが鉄壁山地下司令部壕の壕口である。早速潜入してみよう。


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入ってすぐ、四角く掘削された通路が伸びる。


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碍子もひとつ落ちている。


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丁字路を左に進む。ここはかの稲川淳二も最恐の心霊スポットの一つとして紹介していたが、自分が入った時にはそのような現象は一切なかった。


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右に通路があるが、そのまま直進する。


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フックの付いた碍子。碍子は数えるくらいしか落ちていないが、電気が通っていたのは間違いない。


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錆びついた包丁。なんでこんなものが。


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先へ進む。


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短く狭い閉塞部屋がある。


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先ほど直進した場所まで戻る。そして右に進む。


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回りこむような通路になっている。奥にコンクリート製の貯水槽が見えてきた。


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綺麗に作られている。そういえば八丈島の地下壕はコンクリート製の構造物が多いような気がする。


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全体像。


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錆びついたかすがいが置いてあった。


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通路がわかれている。左の暗がりに進む。


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その前に、右の通路には腐った木柱が立っていた。


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さっそく左の通路に進んでみよう。


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小さな段差があり小さな階段がある。


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階段下に丁字路がある。


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丁字路左に進むとコンクリート製の立派な構造物があるようだ。


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手掘りの通路から比べればだいぶ重厚だ。八丈島まで来たのはこのためなのだ!


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コンクリート内部には鉄筋が入れられている。


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壁に小さな小窓。


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外を狙撃するための銃眼だ。


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ここから外にでることができる。


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外から見る。旅団司令部壕ともなるとホントにきれいな作りだ。


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再び内部に入ってみる。すぐに倉庫のような部屋がある。


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通路の先が見えるが行き止まりのように見える。しかし・・・


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コンクリート製の壁に小さな穴。これは・・・!


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はい。ついにたどり着きました。ここが旅団司令部壕の心臓部である。


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敵の内部侵入を意識しての銃眼だろう。ここまできての戦闘は最後の最後までの敢闘精神の現れだろう。


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コンクリート製の入り口から先へ進む。


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驚いた。というより感動した。これがほとんど誰の目からも触れること無く、話題になることもなく、南海の孤島に存在する、これを奇跡と言わないでなんと言おうか。


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壁から土砂がこぼれている。


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ものすごく急な坂。この先山頂に続いているような気がするが、情報では閉塞しているみたいなので、今回は行かない。


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天井には碍子のようなものは無いが、鉄の芯が出ている。
ちなみにこの部屋は司令部員の為の部屋と、経理を担当するための兵員の部屋のようだ。戦争であり、末期といえど、経済活動に変わりわなく、給料計算や雑費など、経理員が必要なのだ。


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この壕は旅団司令部のわりには残留物がほとんどない。だが、少しばかりならあった。


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これは当時旧軍が使用していた湯飲みのかけらだろう。これと同じような模様のものを見たことがある。


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ここは経理員室である。


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わずかに残る碍子のかけら。


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この木材は60数年前からほとんど変わらずここにあり続けたのだろう。


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奥へ奥へ。深淵のその先へ。


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小さく区切られた部屋。


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これはトイレの跡だろ言う。しかし、こんな場所にひとつだけトイレをつくるだろうか?


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それなりに深い穴。落ちたら絶対に出てはこられないだろう。


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その穴の上に穴。先は暗くどこまでも上に伸びている。


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内部の様子。物音ひとつしない。


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この先は核心部でも最重要な場所だ。


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かまぼこ上の殺風景な部屋ここはかつて副官室、参謀部、司令官室があった場所だ。


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ひとつ間違えば、ここは凄惨な自決の現場になっていたことだろう。


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換気のための穴だろうか。

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司令官室に開いている大きな穴。これはかつてテレビ局が開けた穴らしいが詳細は不明。


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当時を偲ばせる光景。排水溝に木の板が乗せられている。

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右の扉から入った。

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左の扉に進む。

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ここはコンクリートでできた核心部の最後の部屋だ。将校下士官室である。

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入ってすぐガラスが散乱している。

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この先は溶接された赤い鉄格子のために進めない。


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鉄格子の先。急な下り坂が続いている。

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仕方がないので右の出入り口に進む。

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だが、土砂のためにすぐに閉塞していた。

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もと来た道を戻る。

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トイレがあった場所の正面に通路があった。崩壊している先へ進む。

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いつ落盤してもおかしくない通路。

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少し大きめの部屋。ここは弾薬庫だったらしい。

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朽ち果てた弾薬ボックス。

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これは当時の電池だ。掘り起こしたら見つかった。貴重なものだ。

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これ以上の探索は無理なので、いったん外に出ることにした。

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これは鉄壁山地下司令部壕で最もよく目にする資料のひとつだろう。出入り口のひとつである。

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中へ入るとすぐに土砂で閉塞していた。

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だがここに魅力的なものがある。

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ここはトイレだというのだ。

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もちろん戦闘のことを考えて銃眼が作られている。トーチカになっているのだ。

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ここをみるとやっぱりトイレだ。

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銃眼から外を見る。道を掃射できるように作られている。

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銃眼を外から見る。

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張り出し部分。

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横長の銃眼。

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位置関係。左に見えるのは唯一ふさがっていないコンクリートの出入り口。右に見えるのはトイレ兼トーチカ。

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これは第三の出入り口。土砂で閉塞している。

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いきなりだが、苦労して第三層部へ続く壕口を発見した。

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早速先へ進む。

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先には広い部屋。これは兵員の起居室だったらしい。

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その先に長い通路。通路の先は外に繋がっている。

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小さな部屋。この真ん中にあるのは。

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火鉢だ。こんなものまであるのか。

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通路を先に進むと小さな狭い入り口があった。

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これ、わかりづらいがものすごく急な下り坂だ。これを降りて第三層部へ進む。

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まだ続くの~

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やっと通路の出口にたどり着いたようだ。

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出てみると細い通路がある。ここが第三層部だ。

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細い通路を進むと広い部屋に出た。

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かなり広いフロア。

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壁にあった大きな岩。どうやらでかすぎて取り出せなかったようだ。

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ここは当時糧食庫だった。

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ペットボトルの中に焼鳥と書かれた謎のメッセージ。正直理解に苦しむ。

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あの赤い鉄格子は見覚えがある。

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これも特徴的な遺構のひとつ。

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天井が四角くぶち抜かれている。そういえば、子供が誤って地下壕の穴に落ちて亡くなる事故が八丈島では起きているらしい。もしや・・・

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第四層部へいくにはこれまた急な坂をくだらなくてはならない。当時は階段だったものが、劣化して斜面になっているのだ。

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斜面の出口に近づく。

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そして、ついた。ここが第四層部だ。

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ここには豊富な湧き水が出ている。そのせいで壕は侵食されている。

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かまど。

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この壕の炊事場だ。

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ここがこの壕の最深部だ。

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この場所は八丈島の水源のひとつとなっている。

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外からの様子。頑丈に閉じられている。

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いかがだったろうか。長らく放置され、その存在を知られてこなかった鉄壁山司令部壕の全貌をここで紹介でき、その魅力を知ってもらえれば幸いである。

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では、原生林をかきわけ帰るとしよう。

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鉄壁山地下司令部壕の壕内図である
縮尺や細部は適当である

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稲川順二もここに来ているよ。詳しくは【恐怖の現場 八丈島】で検索検索!
  1. 2014/01/14(火) 15:29:36|
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【戦争遺跡・地下壕】八丈島要塞 神止山地下連隊本部壕

今明かされる忘れられた本土防衛の要塞

八丈島要塞 神止山地下連隊本部壕

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八丈島。東京都の一角であるこの島は本土から直線距離で約280キロ。南海の島と言ってよく、冬でもさだ寒い程度だった。この島に何があるのか。それは地下壕である。ある雑誌からこの島に総延長60キロ以上の長大な地下要塞が建設されているという情報を入手した自分は去年の時点で居てもたってもいられなくなり、次の日には八丈島行きの航空機のチケットを予約していたのだ。
硫黄島を有する小笠原諸島が要塞化されており、数々の戦争遺跡が残されていることは有名だろう。だが、八丈島にこのような戦争遺跡が残っているとは知らなかった。そこで、八丈島が戦時中におかれていた現状について、まずは説明しよう。

上の図は昭和19年から20年にかけての米軍侵攻図である。

大東亜戦争初戦こそ連戦戦勝を重ねた日本軍であったが、昭和17年6月のミッドウェイ海戦の大敗北と、それに続くガダルカナル・ソロモン諸島を巡る大消耗戦の結果、海航空優勢は米軍のものとなり、戦線は大きく後退せざるおえなくなった。次なる米軍の目標は誰の目からもマリアナ諸島の日本軍拠点であり、その飛行場であると考えられ、その諸島(サイパン・グアム・テニアン)の防備要塞化が推し進められた。そして、満を持して挑んだ昭和19年6月の米軍来襲時、日本海軍は虎の子の空母機動部隊を繰り出しマリアナ沖海戦(あ号作戦)を生起させるが、結果は日本海軍の一方的な大敗北となり、事実上空母機動部隊は壊滅した。陸での戦いは、これも満を持して島を要塞化したサイパン守備隊が、米軍の着上陸から翌日の日本軍総反撃までで、その戦闘能力をほとんど失い、翌月にはサイパン島が陥落することになる。マリアナ諸島が陥落したことにより、ここに超長距離爆撃機B-29が配備されることとなり、以後日本本土は終戦まで、爆撃の嵐にさらされ続けた。
マリアナを落とした米軍は、いよいよ日本本土への上陸侵攻を視野に入れた最終路線へ動き出すことになる。その第一歩は、マリアナと東京のほぼ中間点に位置する硫黄島占領から始まる。昭和20年2月に硫黄島へ進行した米軍は、日本軍の巧みな陣地構築による迎撃で甚大な被害を出したものの、同島を3月に占領。続いて4月には、日本本土と南方資源地帯からの海洋連絡線遮断と、艦隊の泊地、物資集積所等の確保の観点から沖縄へ侵攻。大激戦のすえ6月に同島は陥落した。いよいよ、日本本土侵攻の準備は整えられたのである。

このような情勢下のなか、八丈島を守備する第67旅団は延々島の地下要塞化を進めていた。島はサイパン島の戦訓を取り入れ、縦深による地下複郭陣地を構成し、かなりの数の地下陣地が終戦までに建設されていたが、この島に米軍が上陸することは無かった。というか、米軍はこの島に興味など無かったことだろう。硫黄島を占領したのは、その飛行場を確保し、マリアナ諸島から飛来するB-29の緊急不時着場とすることと、護衛戦闘機の発信拠点にすることという理由があったが、硫黄島を占領したことでその作戦目標は達成されたわけで、本土に近すぎ、なおかつ戦略的にも戦術的の意味のない八丈島侵攻は計画されなかったのだ。

現在、島が要塞化され、長大な地下陣地が残されていることを知っているものは、わずかしかいないだろう。
当時、島を要塞化し、硫黄島や沖縄のように島を墓場として戦おうと決意していた全将兵に対して敬意をはらい紹介する。


キャプチャこの島には一個旅団が駐屯しており、それは二個連隊から構成されていた。島には2つの司令部地下壕(日本陸軍では、連隊規模の司令部のことを本部と読んだ)が確認されており、今回紹介する【神止山地下連隊本部壕】は戦時連隊本部であり、次に紹介する【鉄壁山司令部地下壕】は戦時旅団司令部である。島はほぼ全周を断崖に囲まれ、上陸予定浜を見てきたが、岩に波が打ち付けている有り様であり、ここに米軍が上陸するのは至難ではなかったかと推測される。
注 上の図では地下司令部壕とありますが、正しくは連隊本部壕。連隊は独立混成第43連隊


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神止山の登山道をだいぶ登ってっきた。もう頂上付近と思っていると、暗闇からいきなり壕口が現れた。自分は歓喜して突入を開始した。


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長方形に掘削された部屋があった。兵員の待機所だろうか。


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奥の部屋の窓。銃眼かあるいは観測用の窓だろう。

ここにきて少しおかしいと気づく。この壕は小規模すぎ、自分の持っている情報と違う。これは違う壕のようだ。


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入り口から伸びている通路の先にあった窓。


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閉塞した部屋。


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綺麗に掘削された棚があった。


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入り口を見る。外は暗い。


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入口近くにはコンクリート製の貯水槽があった。


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貯水槽は本土の壕だとそこまで頻繁にみるようなものでもない。しかし、この後の探索で八丈島にはこのての貯水槽が沢山発見された。


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この壕は観測の為のものだと思われるが、仮に上部壕としておく。

司令部壕の入り口はしばらく発見出来なかったが、ある場所の獣道らしき急斜面を降りた時に、それは唐突に現れた。


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神止山地下連隊本部壕の壕口である。
八丈島の地下壕と検索しても情報がほとんど出てこない神止山の地下連隊本部壕に辿り着いたのである。


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さっそく壕内に侵入。
暗く狭い通路が奥に通じている。


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入口近くの貯水槽。これは一部コンクリート製で岩をくりぬいて作られているようである。


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狭い部屋。待機所か。


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この壕は大きく分けて三層から構成されている。現在居るのは頂上付近の上層部である。とりあえず上層部を見て回る。
奥に進む。


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これは銃眼だろう。上部層には銃眼が多くある。


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棚の上に薬瓶らしき瓶が一つだけおいてあった。


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さぁ、入り口まで戻ってきた。左に見える暗い通路に進む。


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すると狭い階段が作られていた。これもテンションが上がる出来栄えである。


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とにかく狭い。そして急。これはこの壕の特徴のひとつであるが、司令部壕といっても実際の戦闘を意識した作りになっているのか、狭く、そして縦横無尽である。


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下から階段を見てみる。


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階段出口。


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階段を出て左に行くと、すぐに銃眼の作られた狙撃部屋があった。


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銃眼はコンクリート製であるが、大きな岩が中に入れられている。


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何かがはめられていたのか、溝があった。


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狙撃部屋から通路に出る。コンクリートで通路を塞いでいたかの様な跡。


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右が先ほどの階段。


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閉塞した部屋に落ちていた一升瓶。地下壕ではよく見るが当時のものだろうか?


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通路の先にあった丁字路。


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丁字路を左に進んでみる。


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するとコンクリート製の貯水槽がある出入り口があった。この壕は多くの出入口が山の至る所に開いている。出撃口や脱出口など、一つが潰されても大丈夫なように沢山つくってあるのだ。


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貯水槽の作り。板で枠を作ってコンクリートを流し込む簡易な作りであると思われる。


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隣の壕口。土のうコンクリートで閉塞されていた。


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通路に戻って先ほどの丁字路を右に行くと、閉塞した部屋に銃眼が作られていた。


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コンクリートでしっかりと作られている。


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射線は山の斜面を掃射出来るようになっていると思われる。


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狙撃部屋の中の棚。これに弾薬ボックスでも置いておくのだろう。


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クランクした通路。わざとクランクさせて銃撃戦になっても直線で撃たれないようになっている。


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銃眼。地図には出入口と書いてあるが、これは狙撃部屋だろう。


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この壕はとにかく縦横無尽で面白い。既存の壕内の概念を打ち破る。これもその一つだろう。


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はしごがあるのだ。


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このはしごがなければこれだけの段差を登るのは一苦労だ。攻め寄せる米軍に対して最後の籠城を考えてのことだろうか?

この下から上部層から中部層へと切り替わった。


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このはしごの下で機密文書発見!先人がここで落としたのだろう。なんてラッキー。これは後の壕探索で有利に働いた。敵の戦術地図を手に入れた気分だ。


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はしごの無効にはまた丁字路。


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これは銃眼か出撃口かわからない。


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この窓から外を見る。眼下に八丈の町の灯りが見て取れた。


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狭いが形状から見て銃眼だろう。


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本当にこの壕は攻撃的である。


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通路に戻る。


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ここで面白い構造が現れた。


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広い空間のある部屋だ。奥に進む通路が見て取れる。


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腐った木片。当時のものだろう。このように壁の溝に木材を入れ、当時はフローリングの床や天井が作られていたものと思われる。


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先ほどの奥の通路を行くと左に折れてすぐにまた左折する。そして同じような部屋。ここはまるでコの字型の様な構造になっているのだ。このような構造がもう一つこの先に見て取れた。


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通路に出て進むとまたクランク。


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そして直線の通路。


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おなじみの丁字路。左にまがってみる。


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するとすぐに土砂で閉塞しているが、貯水槽がある。


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これはかなりしっかい作られている。


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コンクリート製のあり、周りには木材の柱。形状から当時は天井でもあったのだろう。


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コンクリートに文字が刻まれていた。「昭和二十 八月」と見て取れる。当時の建築に携わった誰かが刻んだものだ。昭和二十年八月といえば言わずもがな終戦の月だ。これを作ったその月に戦争が終わると予想出来だたろうか。


kami60.jpg
通路が枝分かれしている場所に着いた。


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左にいくと出入口がある。


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壕口のそとから内部を見てみる。


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右側の通路を行く。


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するとまた階段が現れた。


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そして、階段の先にあったのは、細い長い通路だった。


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かなり長い通路である。細い通路がクランクをしながら先に通じている。


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やがて丁字路が再び現れた。


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閉塞してはいないが、土砂が流入している出入口。実はここから自分は入ったのだ。かなり苦労した。


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ここにきてやっと碍子がひとつ。この壕にも電気が来ていた跡が発見された。


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広い空間。通路が分岐している。十字路のようになっている。


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別アングル。


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奥に別の出入り口があるようだ。


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出入口を近くから見る。


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通路を見る。


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通路の脇にある階段を降りて先へ進む。


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ちょっとした階段も、本土では珍しいものだ。


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そしてまた圧迫感のある細い通路が続く。


kami78.jpg
ここからまた変わった作りになっている。


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短い距離で閉塞する部屋がある。このような部屋が6っつこの先にあった。これは物資の倉庫だろうか?それとも戦闘に関する施設だろうか?これは分からない。


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その先にある突き当り。いよいよ通路が複雑になってきている。


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まずは突き当り左。すぐに出入口になっている。


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かなり傷んで入るがコンクリートで舗装されている。


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通路。先へ進む。


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やけに綺麗に掘削されている壁。際立って見える。


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先へ進むほど細くなる通路。


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黒縁のメガネが通路に落ちていた。ここで何が会ったのだろうか。


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せまい階段がある。


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さらに通路は細分化される。


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この壕はゲジゲジさんはあまりいないのだが、やけにやもりさんがいる。こいつはたくさんいる。


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銃眼と思われる窓。


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再び狭い通路に戻る。


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これも銃眼と思われる。これはわかりやすい作りになっている。


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銃眼の前にある一人分が立てるほどのスペース。これは狙撃手がこの場所に立って射撃出来るようにしているのだろう。


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真正面には穴。これは珍しいのではないか。


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通路の分岐点に戻って先に行く。


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通路の先へ進む。


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通路の先に左に進む道がある。この先にこの壕の最も特異な階段があった。


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なんと螺旋階段だ。階段は途中でクランクし、下に伸びているのだ。


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螺旋階段の中間点にはテラスがあり下に伸びている。


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螺旋はわずかに一段階だが、このような遺構は見たことがない貴重なものだ。


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螺旋階段を通過したらついに最下層の下層部へ到着だ。


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ここまで来たらはっきり言ってよく構造が分からなくなった。迷宮化してきたのだ。


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壕口より内部を見る。


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下層部でも銃眼が発見された。


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狙われる米軍もたまったものでは無いだろう。


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通路は更に細く、十字路や丁字路が折り重なる。


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この要塞もそろそろ終盤である。


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階段を降りる。


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ある壕口から内部を見てみた。この時外の様子がおかしいことに気づく。なんと八丈島はとんでもない嵐になっていたのだ。明日の飛行機が飛ぶか不安になってきた・・・


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外に目をやると激しい風で木が揺れていた。なんだか畑のようだったので調べてみたら、シンノウヤシという八丈島の特産品であった。主に観葉植物として出荷されるみたいだ。

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かなりの崖。これでは降りられない。この壕口は身を乗り出して敵を狙撃するためのものと思われる。


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半分埋まった貯水槽。


kami122.jpg
再び通路に戻った。


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今日何匹目かわからんやもりさん。こいつらは上から容赦なく落下してすぐさま逃げ出す。ゲジゲジの100000万倍かわいい。


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閉塞した倉庫。


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個々に来て閉塞した部屋が目立ち始めた。倉庫なのか、起居室なのか。


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兵員の為の部屋であると思われる。


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通路から。奥に見えるのは先ほどの埋まりかけた貯水槽だ。


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部屋。


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壁に残された無数の痕跡。手掘りの証拠だ。


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そして、今回最後の急で細い階段通路が現れた。


kami132.jpg
鮮やかで面白いのだが、いかんせん足が限界だ。車に残してきたどらやき食いたい。


kami133.jpg
ちょっと広くなって最後のステップに進む。


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ここが下層部でも一番低い最後のフロアのようだ。もう風来のシレンやってる気分だ。


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最後の出口付近の小さな倉庫に入ったらそいつはいた。


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銃弾である。弾頭部分であり、口径は13ミリといったところだ。最後の最後で掘り出し物だ。


kami143.jpg
そしてもうひとつ。最後の貯水槽。


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貯水槽の下には当時の誰かの靴の跡。生々しく今も残っていた。

こうして、無事、神止山地下連隊本部壕の探索は終わったのだ。


kami145.jpg
あとは脱出あるのみ!


kami146.jpg
とおもいきや、なんとそとは原生林で道なんてひとつもない!おまけに真っ暗(午前1時)!嵐!急斜面!
これはかなりやばい。しかし、だからといって今の道を戻るのは嫌だ。悩んだ挙句に決心する。

ここを、降りよう。

こうして今探索最大の危機、下山が始まった。なんとか道に降りた時にはずぶ濡れ。カメラの三脚もなくなっていた。

八丈島の幻の巨大地下司令部壕探索することが出来て大いに満足だが、この島はこれで終わりではない。休むまもなく次の目標【鉄壁山地下司令部壕】へ向け出発するのだった。

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実は飛行機も着陸できるかどうか心配だった。ANAさんありがとうございました!
  1. 2014/01/13(月) 03:26:56|
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【戦争遺跡・地下壕】陶製手榴弾大量発見の衝撃

おいおい、まじかよ・・・

陶製手榴弾大量発見の衝撃

Ceramic_Grenade.jpg
「陶製手榴弾」という物をご存じだろうか。
手榴弾というのは、鉄製の器に爆薬を充填した小型爆弾であり、よく戦争映画で使われている例のアレである。では陶製手榴弾とはなんであるか?それは大東亜戦争末期の大日本帝国が作りだした苦肉の兵器だった。
陶製という言葉通りに、本来は鉄製であるはずの器は陶器で作られている。何故か?戦争末期になってくると、連合軍の爆撃や海上封鎖により、国内の戦略物資はもとより、あらゆる物が不足していた。そのために鉄にかわる代用品を用いた兵器が多く生まれたのだが、その中の一つが陶器製の手榴弾だったのだ。これらの陶製手榴弾を作っていたのは有田や信楽、瀬戸といった有名な陶芸窯のある地域である。これらの窯も戦時中は国策に動員されたのだ。
作り方はいたってシンプルであり、陶器の器に爆薬(カーリット)を充填し、信管を詰めるだけである。弾体にはゴムで被膜がしてあったようだ。
威力は従来の手榴弾に比べて非常に弱く、無いよりはあった方がまし、というような代物だった。

昨年冬、自分は驚くべき情報を入手した。この陶製手榴弾がある場所に大量に廃棄されているというものだった。情報を集めて見ると、その場所は埼玉県のある沼であることが分かり、何でも、爆薬の充填工場で戦後いらなくなった陶製手榴弾の器を裏の沼に投棄したというのだ。いてもたってもいられなくなった自分はさっそく調査に行くことにした。


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太陽も傾き始めた夕暮れ。前回の調査で何も発見できなかった自分は、今回も何も発見することができないのではないかと半ばあきらめかけていた。だが、魅力的すぎる情報なだけに諦めることはできなかった。


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そういえばまだ調査していない場所があった、と思い今までみていなかった場所に行ってみることにした。


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・・・・・。うん!!!????

強い衝撃に体が固まった。


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え?ちょっと?マジですか?
予想の斜め上をはるかに飛び越して行くほどの光景がその場所にあった。


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これ全部陶製手榴弾の破片である。


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土の上、中、水の底、とにかく見渡す限り陶製手榴弾だらけである。これは夢であろうか。しかし現実であった。


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歴史的にも貴重な陶製手榴弾が大量に廃棄されていたのだ。


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まさに衝撃的な光景である。


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戦後60年以上経っているのに、よくこんなに残っていたものだ。奇跡に近いだろう。


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しばし、この驚くべき光景を眺めていた。


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ぼちぼち何があるのか調べてみることにした。


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大量にある陶製手榴弾の破片に交じって上のような物があった。これは「陶製地雷」であろうと思われる。あらゆる物資が不足した結果、地雷にも陶器が用いられるようになっていたのだ。


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よく見て見ると殆どの陶製手榴弾は割れているようだ。


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廃棄する際に破壊してしまったのだろうか。


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だが割れていない物もあるはずだ。自分は完品を探すことにした。


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そして、これだけの貴重な遺物を発掘することに成功した。


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欠けてはいるものの、ほぼ完ぺきな状態の物が五つ。そして破片が四つ。


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これは陶製地雷の上部破片である。


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裏側はこうなっている。陶器製の鉢植えにも見える。


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陶製手榴弾と破片。洗ってだいぶ綺麗になっている。


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本来なら見ることができない内部。


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これも内部の様子。真ん中につなぎ目が見える。上と下の部品を繋いで作られているのが良く分かる。


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陶製手榴弾を持って見た。手と対比することで大きさもわかってもらえるだろうか。


IMG_8643_R.jpg
ある破片に刻印されたマーク。これは信楽で作られたものであり、「信」の文字と「18」の統制番号が見て取れる。


IMG_9948_R.jpg
陶製手榴弾と陶製地雷の大きさの比較である。


IMG_9959_R.jpg
最後に。
使い道が完全に無くなった陶製手榴弾をどうにか使用できないかと棚の上に置いてみた。すると以外に良い感じのアンティークになることに気付く。本来なら爆薬が充填され、本土決戦のために使用されたであろう陶製手榴弾だが、この平和な時代を迎え、やっと本来の焼き物としての価値を発揮し始めたのだ。
このような代用兵器が再び使われないことを願いつつ、しばらく棚の上の手榴弾を見つめたのである。


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靖国神社の骨董市で1個3500円で売ってました・・・
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