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廃墟を旅する 

産業遺産や戦争遺跡、時を超えた郷愁への旅路へ・・・

【廃線】タウシュベツ川橋梁

その橋は「幻の橋」と呼ばれている。

タウシュベツ川橋梁
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 五月の北海道はようやく春の訪れを迎えたようである。雪はほとんど溶けて、暖かな陽気があたりを覆う。
 雄大な自然の中に一本の道があった。

 目的の場所はこの先から一望できよう。


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 少し道を進むと木々がどこまでも開けた場所に出る。この光景を見ればかつてここに鉄道線が通っていたと気づく人もいるだろう。

 そう、ここには旧国鉄士幌線という鉄道があった。その鉄道は1987年に全面廃止され、その名残りはところどころに残された遺構に見ることができる。この路線が出来たのは1955年のこと。発電所用の人造湖である糖平ダムの建造にあたり、それまで使っていた路線がダム湖に沈むことになったために、そのダムを避けるように建造され、切り替えられたのである。

 ということは、旧線はダム湖の底に沈んだということだ。今回の物件が「幻の橋」と言われる所以はそこにある。


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 この展望台の先からそれは見えた。


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 荒涼とした風景の先に特徴的な橋が見える。それが「タウシュベツ川橋梁」との出会いだった。


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 川が見える。しかし、そこは本来湖のはずだ。それには理由がある。糖平湖はダム湖のため、発電の所要や季節によって湖の水位は激変するらしい。そのため、タウシュベツ川橋梁は完全に沈んだり、現れたりを繰り返すようだ。ゆえに、幻想のように消えては現れるその橋が、「幻の橋」と言われているのだろう。


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 とにもかくにも、ここまではるか関東から来たわけだ。近くに行ってみなけければ話にならない。車で行けるものかと林道を走っていくと、なにやらゲートがあった。これ以上先には車で行けないようだ。
 
 ならば歩いていけばいい。


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 ゲートには看板があった。そこには徒歩で行く場合の距離が書かれていた。

 約4キロ。

 4キロだと!? 往復約8キロだと!?
 オイオイオイ、死ぬわ俺・・・
 

 ・・・だからどうした!行くんだよ!そこに廃墟がある限り!

 go ahead!


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 時間はかかったが、BGMにロシア軍ハリロフ中将指揮の対独戦勝記念パレードの音楽メドレーを聞きながら行進してここまでたどり着いた。

 途中シカに出会い、彼としばらく見つめあう。「シカでした」って言っておこうか。北海道らしく。


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 湖の底だった場所らしく、見渡す景色は砂漠のこうな荒涼さだ。横たわった木々は白骨のように白い。


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 日本とは思えないような風景。


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 遠くの山々にはまだ雪が多く残っているようだ。


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 遠くの風景からふっと目を前に移した。そこには「幻の橋」が静かに鎮座していた。
 タウシュベツ川橋梁である。


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 殺風景で荒涼とした色のない光景。そこに現れた幻想の橋。
 近くに人が何人かいる。座っている人が旅人のようないい味を出してくれている。


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 このためにはるばる来たのだ。否応なしに気分が高揚する。
 近くに寄ってみる。


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 コンクリート製のようだがだいぶ痛みが激しい。


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 コンクリート製のようだがだいぶ痛みが激しい。 コンクリートの組成は荒いようだ。戦中の建造ではないが、あまり頑丈そうには見えない。


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 一応鉄筋が入っているようだ。もしこれが入っていなければ確実に崩れ去っていただろう。


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 鉄筋は錆びてはいるが、なおも力強くそこにあるように感じられる。


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 コンクリートの裏側には大きい石や砂利がゴロゴロとしている。これはこの橋梁の工法に理由がある。鉄筋コンクリートの枠を初めに造り、その内部に石や砂利を詰めることによって比較的簡単に、かつ安く早く建造できる方法を採用したのだ。その技術は現在でも用いられている優れた工法のようだが、いかんせん長い年月で外枠のコンクリートが壊れ、内部の石や砂利が外に漏れ出てしまっている。


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 普段は湖の底に沈んでいることを考えると、非常に頑丈に建造されたようであるが、現状を考えると崩落は時間の問題だろう。


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 普段湖底となっている場所。


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 こんな光景が見られるのは一年でそうそうない。良い時に来られてよかった。


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 見事なアーチの間から雪山がのぞく。


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 湖底に降りてみる。橋梁は均整のとれた直線とアーチによって人工的な美しさを自然の中に作り出している。


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 中間あたりのコンクリートは壊れて崩落している。その間から砂利と石の内容物が見える。


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 内容物は下に落ちて堆積していた。


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 美しい橋だ。


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 もはや自然の一部と化している。


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 ところどころに切り株が残っている。


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 これは建造当時に必要になった木材をここからとった時の切り株だそうだ。化石と化して現在まで残り、異様な風景をさらしているのだ。


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 遠目から見るタウシュベツ川橋梁全景。


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 この橋は遠からず完全に崩落するだろう。なんせ何も保存に向けた対策が無いからだ。しかし、地元の方たちが無関心であるわけではない。いろいろな考え方がある中、何もせず見守ろうという意見があるそうだ。


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 遺跡として、自然のなすがままに任せる。見守り保存というこの考え方は、廃墟にとっては良い考え方だと思う。
 無理に保存のために補強するのではない。長い時間に運命を任せるのだ。それが一番自然だと考える。

 軍艦島もそうであったら良かったのに・・・


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 これが元のタウシュベツ川だろうか。大地から流れ出た雫が集まって川を形成する。その川は透き通る美しい川だった。


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 崩落個所に近づいてみる。あぁ、この美しい光景も無へと帰していくのか。

 「幻の橋」は近い将来本当に幻になるだろう。すべてのものがそうであるように、始まりがあれば終わりが来る。この世はすべからく幻のような存在なのだ。

幻から現実へ帰ろう。4キロの道のりを乗り越えて・・・


おまけ
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 実は士幌線の遺構はタウシュベツ川橋梁だけではない。国道からはいろいろな廃橋梁が見て取れる。


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 タウシュベツ川橋梁に似たアーチ橋だ。真ん中から崩壊している。


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 こちらの橋は橋梁上に大きい木が生えてしまっている。


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 この遺構も自然に飲み込まれようとしていた。

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映画ガルパンを見た人ならわかると思いますが、タウシュベツ川橋梁出てましたね!

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  1. 2016/06/12(日) 21:14:58|
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【廃線】湯原温泉ロープウェイ 山麓駅

廃墟の神はいつだって突然に

湯原温泉ロープウェイ 山麓駅
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前回の山頂駅から引き続き、今回は山麓駅を紹介したい。
この廃墟はそこまで有名ではないと思う。しかし、廃墟の神は突然に表れるものだ。魅力的な廃墟が日本から次々と無くなっている昨今では、このような廃墟との出会いは大事にしていきたいものだ。


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廃道とかした山道をしばらく登っていくとそれは見えてくる。


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入り口にはベンチが一つ。誰かの帰りを待つように。


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内部はだいぶ痛んでいる。かなりの期間放置されていたのだろう。


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湯飲み茶わん。


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この日も曇り。薄暗い室内に明暗がはっきりと表れていた。


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天井からの浸水で水浸しのようだ。


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昔はこの場所を温かくしてくれていた暖房器具。今はただ肌寒いだけだ。


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窓枠。


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オロナミンC。150円。


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静まり返る空間。


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乗車券発売所。


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人の気配はしない。


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階段を上ってフォームへ行こう。


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天井がない。どうりで浸水が激しいわけだ。


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そして表れる廃墟美の空間。


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かつてのゴンドラ乗り場だろう。そこにゴンドラはなかった。


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ここにもベンチ。


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ヘルメットがぽつんと落ちていた。


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ドアの向うに面白そうな空間がある。しかし、ドアは開かない。あとで行ってみよう。


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どこから来たのか椅子が一つだけ。


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周りは雄大な自然。まるで古代遺跡かの如く取り残された人口の空間。


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人類のいない世界に迷い込んだようだ。


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天井の無い階段を降りて下に戻る。


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運転を取りやめる寸前は、お客さんの数はほとんどなかったらしい。全国のロープウェイ廃墟の最期は大体似ているようだ。


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このベンチに再び人が座ることはあるのだろうか。


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先ほど見えた空間を確かめに、建物の裏手に回ることにした。すると、隙間からなにやらすごそうな螺旋階段を発見した。


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さっそく確かめてみよう。


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工場のような場所だ。


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巨大な歯車。どうやらゴンドラの巻き上げ機のようだ。


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乱雑に物が散乱していた。


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さっきの螺旋階段だ。一本の細い柱のように生えている。


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錆びだらけの危険な階段だ。


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なんてこった。天に向かって螺旋階段が伸びる。こんな物が存在する廃墟はそうそうないだろう。


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一歩一歩慎重に上に上る。


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天空の城ラピュタのような光景。


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上に到着した。


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あー、凄いね。こんな廃墟美の場所は簡単に訪れることはできない。行ってみて初めて確認できる感動というものだ。


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建築美、構造美、そして廃墟美。そのどれもが存在する廃墟なんだ。


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さきほどのドアから


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一昔前にはこんなゲーム機が喫茶店なんかにあったのだろう。今はすっかり自然に溶け込んでいる。


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赤さびた鉄骨と階段の向う。


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苔むしたホームが見えた。


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螺旋階段を上から見る。何か巨木にも見えてくる。


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この鉄の構造美。最高級の美術品のようだ。


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静かだ。まるで森の中にいるよう落ち着いている。


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ロボットのような機械。これも巻き上げのためのものだろう。


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太いワイヤーとチェーンが下に垂れ下っている。


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上から見る巻き上げ機。いかに巨大な装置かわかる。


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下にたまった水に波紋が浮かぶ。


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力強さを湛えたまま、静かに眠る。廃墟の神は、静かにそれを見守るのだろう。最期の時まで。

2014年の最後に・・・

さて、早いもので今年も終わろうとしている。毎年のように言っているように感じるが、時間という物は光陰矢の如しで、永遠と思っていると、あっという間に過ぎ去って、あらゆるものを過去の物にし、思い出に変えていく。今年は様々なことがあった。その中でも、現政権が推し進める安全保障分野の改革は凄まじい。何十年か後に過去を振り帰ってみたときに、今年はおそらく分岐点であったと評価されるだろう。

それでは、来年もいい年でありますように。

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  1. 2014/12/27(土) 23:45:19|
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【廃線】湯原温泉ロープウェイ 山頂駅

廃墟の神は突然に現れる

湯原温泉ロープウェイ 山頂駅
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この日も雨が降っていた。
緑が濃い山を山頂に向けひたすら上る。すると、その廃墟はひっそりと佇んでいた。


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見た目にはそれほどのインパクトはなかった。だが、人知れず存在するこの廃墟には、廃墟の神がいたのだ。


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入り口近くに赤さびたレジ打ち機。年代物だ。


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この先にホームがある。


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雨に濡れた幻想的なホーム。当時のゴンドラは、今はもうない。


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細長い入り口から階段が見える。ここから内部にはいろう。


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すると、機械室があった。


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巻き上げ機だろうか。ここに座って機械を操作したのだろう。


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雰囲気のある看板


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割れたガラスの窓


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電気設備だろうか。


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ストーブとベンチ。もう誰も座らない。


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再び外に出よう。


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霞がかった山々が見える。


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破片が散乱するホーム。


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戦争遺跡のような無機質さだ。


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山の中腹には空中線の為の支柱。錆びていた。


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向こうの壁。緑で覆われている。


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上を見上げると張り出し。あれは制御室だろう。


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正面の壁。現代アートのようになっている。


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入り口を見る。


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細長い階段を上って上の階に行こう。


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上がってすぐにワイヤー巻き上げのための巨大な歯車。ドアが開いている。


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とてもいい感じだ。このごろなかった強い廃墟美を放っている。


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鉄の柵


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動くことのない巨大な歯車は静かに眠る。


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苔とボルト


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はずれかけのドアから内部に入ろう。


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おっと、室内とは思えない緑がある。


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そして、下から見た制御室内部。錆びた制御盤がある。


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当時はここからゴンドラを動かしていたのだろう。


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ハンドル。動かない。


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なにかはわからない計器。


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側面にドア。さらに外に出られるようだ。


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ラジオだろうか。


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細い階段を進む。


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上からホームを見てみよう。


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そして制御室。誰かがそこでまだ作業をしているような気がした。


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廃墟美というのはどんな場所に転がっているのかわからない。


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そして良い廃墟に巡り合える確率は年々下がってきている。


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山深き中に、一期一会の出会いを求めて、今日も廃墟を探索する。

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  1. 2014/11/02(日) 22:30:40|
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【廃線】碓氷峠の廃線 軽井沢~横川

長い歴史とともに 廃線奇行

碓氷峠の廃線 軽井沢~横川

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碓氷峠に廃線あり。
これを知ったのはもうずいぶん昔のことだ。初めてこの廃線を訪れたのは小学生の時だった。そのときに感じたなんともいえぬ感覚は、今思えば廃墟美を感じたときに現れるそれであったのだろう。

今回紹介するのは旧信越本線廃線区間の長野と群馬の県境、軽井沢駅から横川駅の間の廃線遺構群である。
この路線は、明治26年(1885年)に誕生している。日露戦争の十年も前のことであり、現在からしても100年を軽く過ぎている。鉄道輸送が近代国家建設の命運を握っていた時代、この路線は大変な苦労の元に建設され、たくさんの殉難者をだした。


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明治、大正、昭和、平成、二度の世界大戦、大恐慌、戦災、震災、戦後復興、高度経済成長、バブル、長い歴史を休まず走り続けてきた鉄道であったが、やがて終わりが来る。平成9年、長野新幹線の開業とともに、輸送の主力をそちらに譲り、碓氷峠の鉄道路線は、静かに、その歴史に幕を下ろしたのである。


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廃止されてからだいぶたっているのに鉄道の状態は非常に良好である。これは、この路線を管理する地元の自治体が、いつでも復活できるように整備しているからだ。これほど状態の良い廃線は、日本全国でも屈指だろう。


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この路線には新線と旧線という二つの線路が存在する。どういうことかというと、最初にできたときは、アプト式という複雑な列車の運行をおこなっていたのだ。これは、碓氷峠のあまりにも急な勾配のためにとられた処置である。しかし、幹線鉄道のこの路線において、これでは需要にこたえることができず、1963年に新線に切り替わったのだ。具体的には複線にするなど、改良を施したのである。現在ある廃線区間のほとんどは、新線の遺構である。


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今にも列車がきそうなほど状態が良好だ。


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危険


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要塞のようなトンネルの出入り口。コンクリートの重厚な建築だ。


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静かな森の中に突然現れる線路。


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この世のものとは思えない絶景だ。


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赤さびた鉄路は漆黒の闇の中に消えていく。


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あのトンネルの向こうは果たしてこの世に続いているのだろうか。


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コンクリートが織り成す景色


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自然の中の不自然。


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このトンネルの向こう。そこは思い出の世界。


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熊ノ平の幻想である。


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なんと力強い鉄路だろうか。


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この開けた場所は熊ノ平駅である。性格には旧熊ノ平駅か。開業当初こそ駅だったが、複線化とともに信号場に降格したのだ。とは言うものの、熊ノ平駅というのが一般的だと思う。


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複雑な空中線。


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山間部にこんな場所があることが衝撃なのである。


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このポイントが交わることはもうないだろう。


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ポイントの切り替えレバー。


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さすがにもう動かない。


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横川駅からここまで、なんと遊歩道が伸びている。誰でもここまで来ることがきでるのだ。


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以前はこんなものなかったのだが。


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ホームだろうか。


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この場所を知らせる立派な石碑。


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トンネルがこの先へ続いている。


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悲しい歴史もある。この場所で戦後大規模な土砂崩れが発生し、鉄道職員やその家族など、50人以上の方が亡くなってしまったそうだ。ご冥福をお祈りする。


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当時の写真があった。活気のあるころの写真だ。


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家もたくさんあったようだ。


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上から見る。


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上から。右に見える建造物は、次回紹介する【熊ノ平変電所】である。


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霧の中に消えていく。


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ものすごくきれいな作りの構造物。これは旧線の遺構、レンガ作りの鉄路である。まるで城壁と門のようだ。


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以前にはなかった駐車場。ここから目的の場所に前進する。


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そして、新緑の間から見えてくる。圧倒的な存在感。


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めがね橋こと、碓氷第三橋梁である。


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この橋ができてもう100年以上がたった。しかし、少しも揺るがぬ存在感である。200万個ものレンガを使い建造されたこの橋は、国の重要文化財であり、世界遺産登録を目指している。


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なんと美しく、凛々しく、力強いのだろうか。


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橋脚の安定感。今後の100年間も大丈夫そうである。


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上に登ってきた。


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この区間はレールや空中線は撤去され、遊歩道として整備されている。


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トンネル内部は照明もあって歩きやすい。


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長い歴史に彩られた鉄道遺構群は、これからも訪れる人々の心を魅了し続けるだろう。

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思い出とともに、いつまでも
  1. 2014/05/03(土) 23:28:13|
  2. 廃線
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【廃線】屋島ケーブル

歴史とともに眠る

屋島ケーブル

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香川県の屋島である。
かつてこの屋島の地は戦場となった。源平の合戦の一つである「屋島の戦い」である。平家はこの自然の要害を使い態勢を立て直そうとしたが、義経率いる源氏軍の前に敗北し、屋島は陥落。平家は四国の拠点を失い敗走。最後の決戦、「壇ノ浦の戦い」に挑むのである。
それからどれほどの月日が経っただろうか。屋島は観光地となっていた。山頂にある四国霊場八十四番の「屋島寺」を中心に、景勝地として人気を博したのだ。だが、レジャーの多様化や交通の不便さなどが重なり、山頂の土産物店や宿といった施設が軒並み廃墟化していく、苦しい時期を迎える。
今回紹介する「屋島ケーブル」も、そんな廃墟化の波に抗えず、廃線となってしまった一つであった。


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屋島ケーブルは屋島登山鉄道の所有するケーブルカーであった。設立されたのは戦前であり、前述した山頂の屋島寺に行くための唯一の公共機関であり、動力交通手段であった。大東亜戦争中の1944年に、不要不急線として運航が休止する。不要不急線とは字のごとく、戦時に必要ないので資材を提供せよ、という命令により、休止した路線のことである。だが戦後復活し、運航を再開した。1961年に屋島ドライブウェイが開通し、唯一の交通手段では無くなったが、運航は支障なく行われる。
このケーブルカーが廃線になったのは、屋島観光そのものが衰退したからだ。これも前述したように、屋島観光の衰退にともない山頂には一大廃墟群が現れ、この屋島ケーブルの経営も逼迫するようになった。そして、2004年に屋島登山鉄道が自己破産し休止線となり、その後、運航の歴史に幕を閉じた。
歴史は繰り返すとよく言うが、屋島の栄枯盛衰は繰り返したようだ。

上の写真は、二つある屋島ケーブルの駅の一つ、「屋島登山口駅」である。内部に入ることはできなかった。


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ケーブルカーの廃墟と聞いてどんなものだろうと思っていたが、裏手に回ってみるといきなり車両が停車していた。このようになっているのか。


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真正面から見る。全体からはレトロな雰囲気が漂ってきている。こいつがつい最近まで運航していたのかと思うと、よくここまで頑張った、という気持になる。


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ここに停車している車両は「1」と書いてある。山頂にもう一両同じ車両が存在し、その車両には「2」と書いてある。この二両の車両には愛称があり、1を「義経号」と言い、2を「辦慶号」と言っていたらしい。運航最後の日は機械故障の影響で終日運転が出来ず、「弁慶の立ち往生」という悲しい最後を迎えてしまったようだ。


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車内の様子。こんなハンドルで大丈夫か?と思ってしまったハンドル。


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外の光が差し込む以外、車内は物音ひとつしない。


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ひび割れた外装に「屋島」の文字が書かれていた。


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空中線のための支柱。こういう構造の鉄塔は大好きだ。


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空中写真からでも確認可能な細い線路が、山頂までほぼまっすぐ伸びている。
謎のおじさんが一人上から下りてきていた。


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駅と義経号


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この屋島ケーブルは運転再開の署名運動が行われているようだ。だが、運転再開の兆しは無い。


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この車両が山頂の弁慶と再会する日は、たぶん訪れないだろう。他の多くの廃墟がそうであったように。


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それでは、登山口はこれくらいにして、山頂のほうに行ってみよう。


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良い雰囲気の変電施設。「変電室」と書かれた文字のフォントが「絶望先生」で使われているようなフォントで素敵である。


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ということで「屋島山頂駅」に到着した。
見てわかる通りに、何でこんな構造にしたの?と聞きたくなるような斬新な駅舎だ。だがそこが、今となっては魅力のポイントとなっている。


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これ自体相当古い建物だろうと推測できる。戦前の建物ではないだろうか。


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趣のある駅名を現すプレート。


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「摩耶観光ホテル」を彷彿とさせるような作りである。きっと内部はさぞかし面白いのだろうが、侵入できず。


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裏側に回ってみると、静かに車両が停車している。これが弁慶号である。


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かつてはここから乗客が出入りしていたのだろう。光を受けて輝いている。


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正面から見る。つくりは義経号と一緒のようだ。


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こちらの駅は下に向かって急こう配となっている。気をつけないと転びそうだ。


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屋島ケーブルの運賃は、大人で往復1300円もしたようだ。これでは客足が遠のくのも当然かもしれない。


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誰もいないホーム。


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乗降確認のための鏡であろう。だいぶ曇ってしまっていた。


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運転席。こちらも義経号同様簡素な作りとなっている。


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ホームからすぐの場所に、この線路唯一のトンネルが見える。そしてかなり傾斜のついた線路。


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トンネルを抜けて下に延々と続いている。


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トンネル内部。外壁の作りが戦中の急造掩体の作り方と似ている。


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線路にあった№82と書かれたプレート。


IMG_8954_R.jpg
線路より、ホームと車両を見る。


IMG_8943_R.jpg
陰影の中に白と赤のラインが鮮やかに浮かぶ。


IMG_8962_R.jpg
「祇園精舎の鐘の声・・・」から始まる平家物語冒頭には、この世の常と廃墟が出来る真髄のようなことが全て書いてある。昔の人が考えたことと、今現在の人間が考えることは同じである。盛者必衰であり、あたかもそれは、風の前の塵に同じなのである。


IMG_8960_R.jpg
この世界の全ての物は唯春の夜の夢のごとし。幻想の世界は、はたして何時まで続くだろうか。

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  1. 2012/03/15(木) 05:51:41|
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