円形校舎の時は止まる沼東小学校

北海道の大地には沢山の廃鉱山が存在する。鉱山一つが閉山すると、それに付随して沢山のものが廃墟になる。その中には学校も含まれている。かつては沢山いた鉱山夫と家族、そしてその子供達。そんな子供達が鉱山に付随した学校に通っていたのだ。だが、閉山とともに人々は山からいなくなり、学校も廃校になっていく。
今回の沼東小学校もそんな廃校の一つだ。
この学校が出来たのはなんと1906年のことだ。その時の児童数は20人ほどだった。それから美唄炭鉱の発展とともに児童数も増えていき、1950年代には児童数1500名以上になった。だが、1972年に炭鉱が閉山すると、わずか2年後には廃校になってしまったようだ。
現在は、静まり返った山の中に不自然な人口物となって存在している。当時の面影を見出すことはできない。
上の写真は体育館だったもの。すっかり骨組みだけになってしまっている。

山道を歩いて行くと校舎が現れた。
この校舎は特徴的な形をしている。上から見るとわかるのだが、全体が丸いのだ。当時一時期はやった建築方法らしい。ゆえに、この廃校は「円形校舎の廃墟」と言われている。
現在は存在しないが、この学校の校舎は本来全く同じ円形校舎が二つあり、廊下でつながっていた。なぜかは知らないが、一棟は取り壊されてしまった。

長年の風雨にさらされてか、窓枠はかなり歪んでいる。一階部分は完全に水没しており侵入不可能だった。

というか、このままでは内部に侵入することができない。苦肉の策で梯子を使い屋上から入れるかやってみることにした。

屋上に入口なし。

これは、駄目かもしれない。あきらめかけた時。

何とか乾いている場所を発見!侵入することに成功した。

一階の様子。泥濘のためにこれ以上内部には行けず。

では、上の階に行ってみよう。

静まり返った校舎の内部に、外からの優しい光が差し込む。

円形校舎の教室に入ってみよう。

机も椅子も何一つない。当時の子供達の声を聞くことはできない。

この教室にいると、もはやこの円形校舎は自然と一体になろうとしている。そんな感じを受ける。

静寂に包まれる円形校舎は、我々の時間とは違う、廃墟の固有時間が流れているようだ。

この廃墟の最大の見どころが最上階にある。それは、自然光を利用した明り取りだ。

無数の丸い穴が照明の代わりになる。

結構明るいのだ。

炭鉱が閉山し、この学校が廃校になってどれだけの時間が流れたか。現在は当時の面影はなく学校周辺に人影も見られない。あるのは廃墟が持つ独特の静寂だけだ。
自分の及びしれない異世界に迷い込んだ錯覚を感じつつ、円形校舎を後にした。
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- 2011/07/10(日) 19:31:49|
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あぁ、なんて素敵な廃空間小倉沢小中学校

人里離れた山の奥に、日窒鉱山集落というものがあった。そこでは鉱山夫やその家族が暮し、山の繁栄の中で生活していた。共同風呂や一軒しかない商店、人々は強いつながりの中で暮していたのだろう。そんな共同体には子供たちのための学校も存在した。それが、『小倉沢小中学校』である。

古びた橋を渡ると校庭に出た。そして、学校の校舎が目に入った。

山を背にしたその学校は不思議と、哀愁と懐かしさをまとっているように思えた。

朽ちた遊具が、過ぎ去った時間の長さを感じさせる。

近くの校舎に入り階段を昇ってみる。

二階は体育館になっていた。物が乱雑に散らばる。

ベランダに出てみる。

渡り廊下があり、隣の校舎とつながっているようだ。

自分は一度一階に下りて、隣の校舎には一階から入るようにしている。自分の中でそれが正規ルートなのだ。

校舎の中。薄暗い廊下が続く。

階段を上って二階へ。なんだか学校の怪談に出てきそうな感じだ。

先ほど渡らなかった渡り廊下はここに繋がっていた。

懐かしい。ものすごく懐かしい。

二階の廊下。案外しっかりしている。

教室。ガランとしている。

右側通行。

ポツンとオルガンがある。

窓から見える風景。あれは教員用の宿舎だと思われる。

小1・2年生の看板。生徒数は少なかったみたいだ。

実は隣にも古い校舎がある。ここは中央階段とでも言おうか。

この部屋は音楽室だろうか?

当時の物が残っている。

小倉沢小学校七不思議の一つ、来るたびに場所が変わっている絵。

家庭科室。

二階の廊下を奥まで進んでいくと、隣の校舎への段差がある。

段差の通路の左からいったん校舎の外にでる。

水道。卒業生が作った壁画がある。

何から何まで木造だ。

また中に戻ってきた。

自分が勝手に「旧校舎」と言っている場所に来た。

旧校舎の教室。小倉沢で最高と感じている空間である。朽ちた教室に自然が侵入している光景。だが近年痛みが急速になっている。

もうひとつの好きな場所。かつての子供たちの活気はなく、あるのは流れない時間だけだった。

段差の通路に戻ってきた。下駄箱。出入り口の一つ。

天井の高い廊下。

異常なし

やわらかな光が差し込む部屋に椅子が一人。

色を無くしたはずの廃墟に鮮やかな色彩があった。

再び一階の廊下。

それでは、そろそろ小倉沢小中学校ともお別れの時間のようだ。

よく、廃墟には廃墟の神がいると思うときがある。

深い感動やノスタルジーを感じた廃墟には、それを感じさせるだけの何かが存在しているのだ。それを、自分は「廃墟の神がいる」と言っている。

この小倉沢小中学校には確かに、廃墟の神がいるのだろう。強くそれを感じられた廃墟だった。
おまけ
索道の朽ちた鉄柱っていいよね・・・
にほんブログ村廃墟の神に出会えるといいね
- 2011/05/30(月) 22:57:52|
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北海道大陸上陸!北の大地にその廃校はあった。黒岩中学校

海に面したどこまでも続く道を走っていると、道のわきに廃校が見えてきた。

廃校になってからそんなに経っていないと思われる。残留物もあり、傷んでいる個所もほとんどない。

北海道の冬が酷寒になることは知っている。このストーブはその対策だろう。

窓枠にステンドグラスが作られていた。在校生が作ったのだろうか?とてもいい雰囲気だ。

教室。かつてはここで生徒が学んでいたのだろう。

体育館。学校に残されたものがここに集められており、さながら倉庫のようだ。

このまま廃校として朽ちていくのだろうか?
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- 2010/11/20(土) 17:35:04|
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場所は静岡県、またもや廃墟半島伊豆にその廃墟は存在する。日大セミナーハウス

国道を走っていると、太平洋が見渡せる山の中腹に廃墟が見えた。ここは日大のセミナーハウスの廃墟だ。
ここでゼミや合宿を行っていたようだが、いつからか廃墟になってしまったようだ。

内部はそれなりに荒れている。かなり傷んでいるようだ。

使われなくなった部屋の鍵が散乱する。

整然とならんだ机と椅子がここを大学の施設だったと伝えている。

いい作りの風呂。円形の風呂は見栄えがいいね。

二階に上がってきた。一階と違いあまり傷んでいる印象がない。

何かの手跡が残っていた。猿か、それとも人間の手か?

「廃墟に泊まろう!」という番組があったとすれば、自分はこの廃墟に宿泊するだろう。それくらいいい感じ。

さすが廃墟半島、いい廃墟がたくさんある。
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- 2010/11/20(土) 16:32:57|
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場所は千葉県、ここに山奥の歴史が存在する。曾呂尋常小学校分教場

山間部の集落に今にも崩壊しそうな木造廃校舎の学校が建っている。これは曾呂(そろ)尋常小学校分教場だ。
まず、尋常小学校とは明治から太平洋戦争勃発前まで使われていた初等教育機関の名称のことであり、今の小学校だ。そして、分教場とは本校とは別の分校のことである。
この曾呂尋常小学校は、明治の初めにまだ小学校も珍しかったころ、山深い集落から遠く離れた本校に通うことができなかった学生のために建てられたものだ。

全生徒を合わせても40人もいなかったらしいが、当時の時代背景からいえばまだ学校さえも珍しいのに分教場がこの山の中に作られたことは非常に画期的で、そのためかこの廃校は保存されいるようだ。

見た目からもわかるが、保存されているとはいえ何時崩壊してもおかしくない状態にある。入口なども解放されていて誰でも内部に侵入可能なほどだ。

教室の中には椅子が一脚だけあった。当時のものだろうと思う。

廃虚のジャンルの中でも廃校というのは自分は大好きな分野だ。その中でも木造校舎というのはより一層いいものである。なによりも木という材質は廃墟を際立たせる一つの要素なのだ。

分教場という種類ゆえに建物自体は非常に小さなものだ。

しかし、活発な子供たちの思い出を多く残している建物であり、小さいながらも見応えは十分だ。

山間部の集落でいい廃墟と出会えた。
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- 2010/11/06(土) 20:32:15|
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