廃墟を旅する 

産業遺産や戦争遺跡、時を超えた郷愁への旅路へ・・・

【廃校】生活学園

場所は岩手県、雲上の楽園にそれはある。

生活学園

中村_7908_R

前回の【松尾鉱山アパート廃墟群】の一角に存在する生活学園。かつてここは松尾鉱山に住む小・中学生が通う学校だったが、閉山した後は生活学園という施設になった。
その生活学園も今は廃墟となっている。


中村_7911_R
校舎の中はとても暗い。窓に板が打ちつけてあるせいだ。


中村_7912_R
アパート廃墟とは違い、近年まで使っていただけあってそれなりにものが残っている。


中村_7916_R
それでもいたるところ破壊されて当時の面影はあまりない。


中村_7938_R
生活学園には巨大な体育館が存在する。この体育館は一階と二階に分かれた二階建て構造になっており、非常に頑丈にできている。


中村_7924_R
体育館内部。サバイバルゲームに使っていたのだろう、バリケードが作られ、床にはBB弾が散乱する。


中村_7927_R
廃墟でしか見られないオブジェ。これは破壊行為なのだがガラスに突き刺さる椅子なんて普通ではお目にかかれない。


中村_7930_R
体育館の二階部分。


中村_7931_R
コンクリートの柱が目立つ。


中村_7932_R
この生活学園で有名な、通称「赤い部屋」。マネキンもここにあった。



探索を終えて
雲上の楽園と言われた松尾鉱山には、最盛期に一万人以上の人が暮していたようだ。
そこに暮していた人たちにはそれぞれの生活があり、また子供たちはこの学校に通っていたのだろう。
しかし、ここに通う学生はもういない。


テーマ:廃墟系 - ジャンル:写真

  1. 2010/10/27(水) 01:28:33|
  2. 廃校
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

【産業遺産】松尾鉱山アパート廃墟群

場所は岩手県八幡平市、ここに「雲上の楽園」が存在する。

松尾鉱山アパート廃墟群

中村_7821_R
かつて松尾鉱山という硫黄鉱山が存在した。
この松尾鉱山の歴史は古く、すでに江戸時代にはその存在が文書に記されているほどだ。
明治に入ると本格的な硫黄鉱石の採掘が開始され、山は大規模に開発され、ここに大勢の炭鉱夫とその家族が移住し、大きな炭鉱町が山の中に出来上がった。生産量の多さから東洋一の硫黄鉱山と言われ、戦後に建設された従業員や家族のための鉄筋コンクリートアパート群は、水洗トイレ付のセントラルヒーティング完備であり、町には小・中学校、病院などの施設があり、当時の最先端都市を人は「雲上の楽園」と称した。


中村_7825_R
だが、そんな雲上の楽園にも限りが見え始める。
高度経済成長に伴う硫黄需要の減少と輸入の増大に採算は悪化し、石油精製時の脱硫作業における副産物としての硫黄の生成により、硫黄鉱石の需要にとどめをさし、1972年には閉山するしかなかった。


中村_7827_R
雲上の楽園に残されたのは、鉄筋コンクリートのアパート群だけ。それらは現在廃墟となっている。


中村_7838_R
アパートは、いろは~順に番号のようなものが付いており、ぬの番号まで完成しているようだ。


中村_7837_R
建物の中には当時の残留物はほとんど見られない。しかし、このような遺物が当時の記憶をとどめている。


中村_7846_R
この廃墟はどこもかしこも幻想的な雰囲気がある。


中村_7863_R
非日常な世界というのはこのような世界のことかもしれない。


中村_7849_R
二つのアパートを結ぶ中央の階段。


中村_7852_R
当時はこの階段を上り、共同の大浴場に居住者は向かったのだろう。


中村_7873_R
いい雰囲気の棚


中村_7883_R
松尾鉱山に行ったのは8月の初め。この時は夕暮が迫ってくる時間帯だった。


中村_7907_R
アパート群を出ると二つの煙突が見えた。


中村_7890_R
当時はここで暖房に使う熱を発生させていたのだろう。今はただの廃墟になっている。


中村_7894_R
煙突を見上げる。


中村_7939_R
アパート群を横から見てみる。なんだか一つの壁のように見える。


中村_7948_R
壁をよく見てみればところどころかけて落ちている。よく長い間建っていたものだと思う。


中村_7949_R
山と廃墟。


中村_7952_R
この窓から見る風景も当時と変わらない。


中村_7955_R
誰かが暮していたであろう部屋。もう誰もいない。


中村_7959_R
アパートの屋上に上がってみる。


中村_7960_R
屋上は非常に危険な状態になっている。遠くに見える山は岩手山だ。


中村_7984_R
巨大なアパートの全景が見て取れる。


中村_7970_R
この光景は美しい。


中村_7990_R
自分は廃墟をそれなりに沢山巡っているが、この屋上には少しでも長くいたい。そんな気分にさせる何かがあった。


中村_8005_R
しかしそうも言ってはいられない。日没はすぐそこまで来ている。


中村_8008_R
完全に夜になるとかなり危険だろう。もう帰る時間だ。


中村_8010_R
この松尾鉱山の別名は「陸の軍艦島」だ。廃墟巡りをする人にとっては軍艦島は聖地となっている。この松尾鉱山はその聖地の名を冠するに値する最高の廃墟のひとつだった。


中村_8003_R
松尾鉱山の空はいつ見ても綺麗だ。雲上の楽園は今でも生きているのだろう。


中村_8020_R
ここで暮した人がいたのだという確かな証拠がここにあった。


中村_8025_R
機会があればまた来たい、そんな廃墟だった。



おまけ
動画作りました。よかったらどうぞ。

















テーマ:廃墟系 - ジャンル:写真

  1. 2010/10/26(火) 23:48:14|
  2. 産業遺産
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:5

【戦争遺跡】伏龍洞窟陣地

場所は神奈川県の稲村ケ崎、ここに特攻という非日常が存在します。

伏龍洞窟陣地

IMG_0379_R.jpg
神奈川県の観光名所の一つに稲村ケ崎という岬があります。とても見晴らしがいい景勝地で、江の島やビーチが一望できます。休日などは沢山の観光客が訪れます。ですが、この稲村ケ崎の裏の顔を知っている人はあまりいません。
太平洋戦争末期、迫りくる米軍の本土上陸に備え、この地に特攻出撃基地が建設されました。


b0099994_10384718.jpg
まず伏龍とは何か?上の写真が「人間機雷伏龍」です。(写真はネットから)
伏龍は数ある特攻戦術の中でもひときわお粗末で臨時的で、大日本帝国はここまで追い込まれていたのか、と思ってしまうものです。それはもはや兵器とも呼べないものかもしれません。
1944年、本土決戦が迫る中、伏龍は誕生します。それはどのようなものかというと、隊員は潜水服を身にまとい、竹竿の先端に爆雷をつけた棒機雷を持って陣地より歩いて沖合まで行って展開し、敵の上陸用舟艇が真上を通過したらその船底に棒機雷を突き刺すようにし、その瞬間に信管が作動して機雷が爆発し、持っていた隊員も爆死するというものでした。
本土決戦の際は米軍艦艇に対しては、水際の陣地に隠れていた特攻兵器である「震洋」や「回天」が受け持ち、水際の防衛にはこの伏龍が使われることになっていました。
しかし、訓練中に事故が多発し、数十名の殉死者を出してしまい、結局は作戦放棄された戦術です。
その伏龍の陣地が稲村ケ崎に作られていたのです。



IMG_0384_R.jpgIMG_0385_R.jpg
海岸を少し歩いて行くと岩肌に上のような穴があります。(下は穴の拡大写真です。)これは中に秘匿してある機銃うや大砲の砲身を出して、敵に撃てるようにしてある銃眼です。連合軍の上陸用舟艇を側面から撃てるようになっているのでしょう。


IMG_0387_R.jpg
銃眼の隣に陣地の壕口がありました。出撃はここからしたのでしょうか。海とつながっています。


IMG_0398_R.jpg
さっそく中に入ってみます。


IMG_0406_R.jpg
中に入るとすぐに岩が沢山出てきました。


IMG_0411_R.jpg
崩れているところはあまりありません。頑丈な地質のおかげでしょう。


IMG_0417_R.jpg
T字路が現れました。右に行ってみます。


IMG_0423_R.jpg
右の道は海に直結していました。その先はありません。


IMG_0435_R.jpg
では、さっきのT字路のところを左に行く道に行きます。それにしても長い年月がたったとは思えないほど綺麗です。


IMG_0452_R.jpg
直進した通路の先は左に曲がっていました。


IMG_0456_R.jpg
いくつかの曲がり角やT字路がありました。矢印の方向に進みます。


IMG_0466_R.jpg
しかし、ここで道はふさがれていました。
ここまで来る間に通路しかなく、伏龍隊員が待機したであろう部屋等は確認できませんでした。この先にそれがあったのか、または作りかけで放棄してしまったのか、それはわかりません。それと、銃眼に通じる通路も発見できませんでした。


IMG_0472_R.jpg
入口まで戻ってきました。子供連れの親子がいます。


IMG_0476_R.jpg
洞窟から出て、稲村ケ崎を少し散策してみると沢山の壕口が発見できました。


IMG_0482_R.jpg
IMG_0483_R.jpg
上の写真の壕口もふさがれていましたが、小さな穴からカメラを入れて撮影すると、その先に洞窟陣地があることが確認できます。(下の写真は拡大されます。)


探索を終えての感想
稲村ケ崎という場所は有名な観光地です。しかし、少し眼を向けてみると戦争という歴史が見えてきます。
「特攻は統帥の邪道、統率の外道」と特攻戦術の創始者である大西瀧次郎海軍中将も言っているとうり、生還が全くできないというこの戦術は極限まで追い詰められた状況下であっても、採るべき戦法ではなかったと思います。しかし自分は、「特攻で戦死したいかなる人間も国の最高の誉れであり、国家のために散った崇高な魂であり、その栄誉は日本の誇りである」と思っています。
伏龍は出撃しませんでしたが、特攻戦術というものがかつて行われたのだということを今回の戦争遺跡は語っています。











テーマ:廃墟系 - ジャンル:写真

  1. 2010/10/25(月) 04:13:09|
  2. 戦争遺跡・地下壕
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

【戦争遺跡】府中米軍基地

場所は東京都府中市、ここに日本ではない場所が存在します。

府中米軍基地

中村_2738_R
何気なく道を歩いていると突然隣に大きな廃墟が現れました。これは米軍の基地なのです。
ここは元々日本軍の燃料廠があった場所でしたが、1945年の敗戦を機に米軍に接収され、アメリカ第五空軍所属の在日米軍通信施設基地となった場所です。
最盛期は沢山の米軍スタッフや日本人従業員がおり、今よりも広い土地を持っていましたが、近年になり徐々に返還となり、美術館や憩いの森などになりましたが、現在でも一部の土地は米軍の管理下にあり、日本ではない土地となっています。しかし、もはや使っているのはごく一部で、そのほとんどが廃墟となっています。


中村_2739_R
この府中米軍基地の象徴として有名な二つの巨大パラボラアンテナ。


中村_2748_R
これは兵舎と思われます。このような建物が同じ場所に五棟ほどありました。ツタがからんでいます。


中村_2741_R
ここに来たのは日没前。冬の夕日は廃墟を美しくするものの一つです。


中村_2742_R
床がはがれています。長い年月が流れたことを物語ります。


中村_2753_R
パラボラアンテナの近くまで来ました。


中村_2755_R
木とパラボラ。


中村_2757_R
ゲートをくぐって別のエリアに行きます。


中村_2764_R
ゲートの近くにあった建物の内部。防火扉の英語がアメリカ軍の基地であることを教えます。


中村_2766_R
これはなんでしょうか?ダーツの的のようにも見えます。


中村_2777_R
パラボラアンテナの真下に来ました。


中村_2768_R
見上げてみるとこのアンテナがとてつもなく巨大なことがわかります。


中村_2788_R
基地内部は静まり返っています。まるでゴーストタウンのようです。


中村_2794_R
でも、この静けさは廃墟のだいご味でもあります。いつでも廃墟は静寂なものなのです。


中村_2807_R
昔の喧騒は今は無く、長い沈黙だけが支配しています。


中村_2810_R
とても多きな建物が出てきました。


中村_2812_R
ここは工場のような場所です。車両の点検や修理もやっていたようなのでそれに関係がありそうですね。


中村_2814_R
そろそろ日が落ちる頃です。この辺で引き上げたいと思います。


中村_2819_R
ここは今でも米軍の基地であり、日本ではありません。
日本が戦争に敗れ、進駐軍による占領を経験したという最もたる証拠が基地です。ここはそんな日本の記憶をとどめて、時間が停止した場所なのだと思います。









テーマ:廃墟系 - ジャンル:写真

  1. 2010/10/22(金) 02:35:38|
  2. 戦争遺跡・地下壕
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

【産業遺産】検見川送信所

場所は千葉県検見川町、ここに逓信建築の代表作があります。

検見川送信所

中村_2928_R
再開発地域となり、周りは振興住宅ばかりのなかにポツンとそれはあります。
検見川送信所とは、大正時代に作られた建築物です。見たとおり装飾などの類はほとんどなく、機能面を重視した大正モダニズム建築を摂り入れた作りになっています。
この送信所は、日本で初めて短波による標準電波を送信した施設であり、ロンドン軍縮条約締結に当たっては当時の首相の記念演説を世界に送信し、またアメリカ大統領やイギリス首相の演説を受信しました。
その後、太平洋戦争の勃発のさい、ハワイ沖の第一航空艦隊に対し「ニイタカヤマノボレ1208」を送信し、占領地と本土の通信拠点にもなっていたようです。


中村_2931_R
この箱型の外観、実にいいですね!


中村_2933_R
装飾はありませんが、階段や張り出しなどはよくつくってあり、当時から重要なものだったことが伺えます。


中村_2935_R
周りはすべて鉄板で覆われており、侵入はできません。残念。


中村_2939_R
給水筒です。これも角が丸く装飾類はありませんでした。


中村_2942_R
一度は取り壊しが決まっていた検見川送信所ですが、保存の動きがあり、現在では千葉市の指定文化財になるよう運動が起きており、重要な産業遺産が取り壊されずに済みそうです。



テーマ:廃墟系 - ジャンル:写真

  1. 2010/10/15(金) 19:52:09|
  2. 産業遺産
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

【産業遺産】伊万里川南造船所跡

場所は九州は佐賀県伊万里市、ここに伊万里川南造船所(正式には川南工業浦之崎造船所)という巨大廃墟が存在します。

伊万里川南造船所


中村_5927_R
国道沿いにひっそりとだが存在感を示す巨大な廃墟があります。
これは伊万里川南造船所。
もともと戦前にガラス工場として建設されたようです。その後、貨物船の製造などを扱う工場へと姿を変えます。
しかし、太平洋戦争の勃発、そして日本軍の敗退期に入ると海軍に接収され海防艦や人間魚雷「回天」、海軍特攻艇「震洋」を建造する軍需工場に様変わりします。ここは戦争遺跡でもあるのです。


中村_5809_R
今回はこの伊万里川南造船所が取り壊されてしまうという情報を聞き、いてもたってもいられなくなり九州まできてしまったわけです。


中村_5810_R
戦前戦中の廃墟というのは見た目でだいたいわかったりします。朽ち果て方や建物の雰囲気などが似通っているのです。


中村_5819_R
内部には何もありませんでした。昔のものは残ってはいません。


中村_5837_R
しかしこのような標語を見ると、ここが戦争に使われていたのだと感じることができます。


中村_5840_R
この工場が海軍に接収された時の日本軍の状況は、ガダルカナル島が陥落し、全面的な連合軍の反攻のなか日本軍は後退を余儀なくされていく時期にあたります。挙国一致の軍需生産でなんとか戦線を維持しようとしました。



中村_5841_R
しかし、連合軍の進撃はとどまるところを知らず、1944年にはマリアナ諸島が陥落すると同時に海軍空母機動部隊はほぼ壊滅状態になり、続く米軍のフィリピン・レイテ島上陸により生起したレイテ沖海戦により日本海軍連合艦隊は事実上壊滅します。
戦局の打開を信じ、取り入れられたのが「特攻」であり、有名な神風特別攻撃隊を筆頭に、さまざまな特攻戦術が開発されます。「回天」と「震洋」もそんな特攻兵器の一つでした。


中村_5845_R
圧倒されるほど巨大なフロアの二階に上がります。上がるのにちょっと苦労しました。


中村_5855_R
二階にも何もありませんでした。でも、なんて美しい場所なんだここは。これこそが廃墟美。


中村_5860_R
ガラスのない窓枠というのはいいものです。産業遺産系廃墟にはよく、美しい窓枠があります。


中村_5883_R
工場にはたくさんの支柱があります。これは造船の際に使われたクレーンがあった支柱なのか、ただの屋根があったのかはわかりません。


中村_5894_R
頑丈なコンクリート製の支柱が途中で折れています。それだけ長い年月が流れたことを意味します。


中村_5919_R
帰るときに振り返りもう一枚写真を撮ります。これにもう会えないのかと思うと感慨深いです。

廃墟には廃墟の神がいる。そう思うときがあります。この廃墟にはまさしくそれがありました。
この廃墟の取り壊し理由は、「戦争という負のイメージがあるから」「見栄えがよくないから」というものです。そんな理由で日本にある産業遺産というべき廃墟を壊して行ったら、未来に何がのこるというのでしょうか?








テーマ:風景写真 - ジャンル:写真

  1. 2010/10/15(金) 18:29:45|
  2. 産業遺産
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

【産業遺産】志免鉱業所・立竪坑櫓

場所は福岡県志免町、ここにひときわ目立つ廃墟が存在します。

志免鉱業所・立竪坑櫓


志免炭鉱
志免鉱業所は1889年に新原採炭所として設立されます。
この炭鉱はもともと海軍の艦艇用燃料である石炭を掘削するために作られたので、戦争遺跡ともいえます。
現在志免にある立竪坑櫓は1929年に志免に炭鉱拠点が移った後、太平洋戦争が始まる1941年に工事着工され、43年に竣工します。その後、1945年の終戦で海軍から運輸省などを経て国鉄に移管され、1964年に閉山しています。


中村_5937_R
この志免炭鉱立竪坑櫓は国の登録有形文化財として保存が決まった立派な産業遺産です。
このように廃墟が保存される例は非常に珍しいことだと思います。


中村_5939_R
この立竪坑櫓には現在昇ることはできません。すごく残念。


中村_5942_R
でも外見を見ても堂々としたこの姿!至高の廃墟のひとつだと思います。


中村_5949_R
これは坑道への入り口です。こちらも入れません。


中村_5947_R
凛々しいこの姿を見られただけでも九州まできたかいがありました。


中村_5945
最後に志免炭鉱立竪坑櫓についての説明が書かれた看板です。サムネをクリックすれば大きい画像で見られます。
この九州にきたホントの理由は伊万里川南造船所を見ることにありました。それは伊万里川南造船所が取り壊されるということを聞いたからであります。この志免炭鉱と伊万里川南造船所は戦争遺跡という点から似たような境遇を持った廃墟です。なのに保存と破壊という両極になる理由はいったいどこにあるのでしょうか?

テーマ:風景写真 - ジャンル:写真

  1. 2010/10/11(月) 00:12:56|
  2. 産業遺産
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:1

はじめまして

廃墟のブログを始めようと思います。

よろしくお願いします。
  1. 2010/10/10(日) 13:00:57|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

プロフィール

東雲みょん

Author:東雲みょん
どうもこんにちは。東雲みょんといます。

このブログは日本の産業遺産や戦争遺跡といった廃墟を紹介しています。

日頃廃墟に旅に出ている自分です。

【掲載廃墟一覧】
今までに旅に出た廃墟の一覧です。

リンクフリーです!同じ趣味を持った人、そうじゃない人もどんどんリンクしちゃってください。

【Twitter始めました!】
廃墟の情報交換や意見交換などから、雑談まで、お話ししたいことがあったらどんどんお越しください!

検索 @tisyaki

最新記事

カテゴリ

未分類 (7)
掲載廃墟一覧 (1)
産業遺産 (25)
戦争遺跡・地下壕 (24)
廃線 (12)
廃校 (12)
廃村 (6)
宿泊系廃墟 (12)
娯楽系廃墟 (8)
不思議系廃墟 (8)
廃病院 (9)
心霊スポット (5)
廃アル風景 (2)
一軒家系廃墟 (2)
廃車館 (1)

最新コメント

twitterはじめました!

最新トラックバック

FC2カウンター

フリーエリア


バナーが出来ました。

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR

謎のエリア

にほんブログ村 写真ブログ 廃墟・廃屋写真へ
にほんブログ村 鉄道ブログ 廃線・未成線へ
にほんブログ村