廃墟を旅する 

産業遺産や戦争遺跡、時を超えた郷愁への旅路へ・・・

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【娯楽系廃墟】化女沼レジャーランド

幼い時の思い出は、今も記憶の中にある

化女沼レジャーランド

中村_938_R
場所は宮城県。ここに遊園地の廃墟が存在する。それがこの化女沼レジャーランドだ。
この遊園地は1979年にオープンして以来、沢山の子供たちが入園し楽しんだ場所だ。しかし娯楽の多様化などの影響により入園者数は下がり、ついに2000年閉園した。
廃墟には様々な種類がある。その中でも花形廃墟と言えるのが遊園地系廃墟だ。しかし、日本国内での遊園地系廃墟数は少数だ。自分の地元のカッパピアや向ヶ丘遊園などあったが、今は存在しない。貴重な廃墟物件といえる。


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入ってすぐにセスナのような航空機がある。


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この遊園地はそんなに規模が大きいわけではない。しかしそれなりの複合施設なので、上のようなゴルフ練習場などがある。


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子供を遊園地で遊ばせている間に、お父さんはここでゴルフの練習をするという寸法だ!


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ナイスショットはここから飛んで行ったのか。


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よくわからない施設。てるよ姫なる姫を祭っているようだった。


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そしてメインが見えてきた。


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赤さびた門の向こうに停止した時間がある。


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自分は載ったことがないメリーゴーラウンド。


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観覧車は動かない。


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停止した乗り物と停止した時間の中で記憶もここに残り続けているのだろう。


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かつてここからゴンドラにのった子供は、この遊園地を覚えているだろうか?


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小さい時の楽しい記憶をふと思い出してみる。


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小学校の遠足でいった遊園地の記憶。その遊園地も今はもうない。


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記憶の中にある思い出の地が廃墟に変わった、という体験を持っている人もいることだろう。だが決して悲しいことでは無いのだ。記憶は永遠に存在するのだから。


中村_964_R
願わくば、失われし者の楽しき思いでのみを残されんことを。
でも、廃墟っていいな~







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  1. 2010/12/21(火) 22:43:01|
  2. 娯楽系廃墟
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【廃病院】雄別炭鉱病院

廃墟というべき廃墟、美しき窓枠

雄別炭鉱病院

中村_9088_R
北海道釧路市、ここにもまたひとつの廃鉱山が存在する。それは「雄別炭鉱」。
1919年から炭鉱として開発が開始され、その後長い間石炭の産出地として栄えた。しかし、どの鉱山もそうだったように、戦後の石炭に代わるエネルギーの台頭と安い外国産石炭の輸入はこの鉱山の経営を圧迫し、1969年に起きた坑内爆発事故をきっかけに出炭停止、そのまま閉山となった。
今回の廃墟はその雄別炭鉱のなかの施設の一つ、「雄別炭鉱病院」である。


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この廃墟も他の例にもれず、現在は心霊スポットなどと言われている。しかし、実際は違った。


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この廃墟の見どころである二階に行くための通路。これを見たときに思った。この廃墟は廃墟というべき廃墟だと。


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廃墟と行っても様々な廃墟が存在する。年代の浅い廃墟や古い廃墟。巨大な廃墟や小さい廃墟など、どれも廃墟には変わりがないが、でも、この廃墟は廃墟たる廃墟だと思うのだ。


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残留物があるわけではないし、それほど大きくないし、複雑な構造でもない。しかし、廃墟がまとう雰囲気や、静寂、無機質さ、非日常性、なにより廃墟美を兼ね備えた廃墟いかんな廃墟なのだ。誰しもがこの廃墟に来たら思うだろう。今、自分は廃墟に居るのだと。そう素直に思える空間を、この廃墟は持っている。


中村_9095_R
そして、この廃墟の魅力の一つは間違いなくこの「窓枠」であると思う。
廃墟の窓枠というのはどれもいい感じを醸し出すものだが、この廃墟は窓枠と外の景色が織りなす風景において、もはや美術館での絵画のようだ。


中村_9105_R
無機質な空間と外の緑は絶妙な感じで融合している。


中村_9106_R
これは季節や時間帯にもよるだろうが、廃墟でしか目にすることはできないだろう。生きた空間ではこのような感じにはならないだろう。


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当時は一見ただのトイレだったのだろう。しかし、今廃墟になってこの空間は違ったものになった。


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単純に廃墟とは、捨てられた無機質な空間である。それを確認できる廃墟だった。


おまけ 北海道の朝

中村_9124_R
北海道の夜明け。これは一度は見てみてください。感動します。


中村_9129_R
北海道は噂に聞いていた通り広大な牧場や畑や、まっすぐな道が続いていました。
画像は牧場に転がっている例のアレ。


中村_9130_R
開陽台という展望台に来ました。ここはは地球が丸いことが分かるほど見晴らしがいい場所です。


中村_9133_R
さすがは北海道、地平線まで見える・・・・


中村_9134_R
これは感動せざるをえない!


中村_9135_R
北海道に朝が来る。

テーマ:廃墟系 - ジャンル:写真

  1. 2010/12/10(金) 20:29:58|
  2. 廃病院
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【戦争遺跡】龍口寺の陸軍抵抗拠点 2

龍口寺の抵抗拠地下壕

龍口寺の陸軍抵抗拠点 2

IMG_1093_R.jpg
※前回の【龍口寺の陸軍抵抗拠点】を初めにお読みください。
龍口寺には以前の地下壕とは別にもうひとつの地下壕が存在する。この壕口もすぐに発見できる。


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この地下壕は以前の地下壕よりも掘削距離が長い。一説では司令部壕といわれる。


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入ってまっすぐ進むと坑道は上のように行き止まりと右に進む本坑に分かれていた。本坑を進む。


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坑道をまっすぐ進むとすぐに左に進む坑道が出てくる。そこに入る。


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入ってみると天井に木材の支え?があった。木材は見た目的に鉄のように見える。


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枝抗から出て本坑に戻りまっすぐ進む。すると水気が多くなり崩落個所が出てきた。


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構わずまっすぐ進む。


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またもや左に進む枝抗が出てきた。そちらに進む。


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進んでいくと道は細くなり、腐った木材が出てきた。そして道は右に曲がっていた。こちらに行ってみたがすぐに水没していて進めなくなった。


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かろうじて木材が立っている。当時はこのようにして坑道を支えていたのだろう。


IMG_1144_R.jpg
また本坑に戻って道を進む。すると今度は大規模な崩落個所が出てきた。越えられそうなのでそのまま進む。


IMG_1148_R.jpg
崩落個所を超えるとT字路となっていた。


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T字路の左の道。土嚢でふさがれていた。


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なので右の道へ。さっきの坑道と違いかなり細くせまくなっている。


IMG_1157_R.jpg
こんなところにもある碍子。電機は掘削用に通っていたのだろう。


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かなり細くなる。


IMG_1161_R.jpg
またもやT字路が出てきた。


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この水たまりは井戸なのだろうか?生活用水をためていただけかも知れない。


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T字路を右に進む。すると道は水没していた。


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左の道は開口していたが柵で封鎖されていた。


IMG_1187_R.jpg
探索を終えて壕を出る。
この壕も本土決戦が起きていれば、火炎放射機や爆雷で破壊されていたのだろう。


龍口寺 2
だいたいの壕内図。縮尺などは適当なのであてにしないでください。

テーマ:廃墟系 - ジャンル:写真

  1. 2010/12/05(日) 19:24:06|
  2. 戦争遺跡・地下壕
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【戦争遺跡】龍口寺の陸軍抵抗拠点 

神奈川県の江の島近くに存在する地下陣地

龍口寺の陸軍抵抗拠点

IMG_0491_R.jpg
湘南モノレールの湘南江ノ島駅近くに存在する龍口寺。この寺の敷地内に帝国陸軍が掘削した本土決戦用の抵抗拠点があると聞いて実際に行ってみた。


IMG_0493_R.jpg
今回探索するのは本土決戦用の抵抗拠点であるが、そもそもなぜここにあるのか?それは米軍の本土上陸に対する日本軍の防衛体制が関係している。
米軍は1945年以内に敗戦を決定的にするために日本本土に上陸することを計画していた。それは、日本の周辺に機雷をばらまくなどという封鎖作戦を含めた九州・関東上陸作戦「ダウンフォール」という。これは九州上陸作戦「オリンピック」、関東上陸作戦「コロネット」が主柱の作戦であった。対する日本軍は米軍が九州、関東に上陸する可能性が濃厚と判断し、両地域に大量の急造抵抗陣地を建造した。それは地下陣地や水際の銃眼やトーチカといったものだったが、この龍口寺の抵抗拠点はそのそのような中のひとつである。
米軍が上陸すると想定された千葉県の房総半島や、相模湾の海岸地帯には、一気に陣地と臨時要塞が建築されていった。


IMG_0496_R.jpg
壕口を発見。ちょっと探してみればすぐに発見できる場所にある。


IMG_0499_R.jpg
さっそく侵入開始。


IMG_0503_R.jpg
かなり広く感じる。高さは普通に立って歩けるくらいあった。
この場所で坑道は右と左に分かれている。


IMG_0505_R.jpg
地下陣地内でよく見る碍子。ここにもポツポツといくつかあった。


IMG_0506_R.jpg
さっきのわかれ道を左へ進む。


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少し進むと光が見えてきた。


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湘南江ノ島駅方面の山の斜面に開口していた。


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曲がった場所まで戻ってきた。


IMG_0527_R.jpg
坑道においてあったもの。まさか、これで掘ったのか・・・


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さっきの分かれ道を右にいってみる。するとすぐに道はクランクしていた。


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クランクを曲がったところ。まっすぐの坑道が現れる。


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坑道をまっすぐ進むと広い空間にでた。坑道は左に曲がっている。
余談だが、この地下壕内には昔の空き瓶が沢山捨ててある。きっとビンマニアは喜ぶだろう。


IMG_0546_R.jpg
左の道を行くとほどなくして坑道は土砂によって閉塞していた。これは自然崩落だろうか?


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探索を終えて地下壕から出ることにする。


IMG_0557_R.jpg
この抵抗拠点が実際に稼働することはなかったが、もし米軍の本土上陸があったら、ここも戦闘に巻き込まれたことだろう。


龍口寺
大体の坑道図。縮尺などはでたらめなのであてにしないでください。

この龍口寺にはこの抵抗拠点とは別の地下壕が存在する。その探索も行う。

テーマ:廃墟系 - ジャンル:写真

  1. 2010/12/05(日) 18:19:15|
  2. 戦争遺跡・地下壕
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