廃墟を旅する 

産業遺産や戦争遺跡、時を超えた郷愁への旅路へ・・・

【廃校】湖南小学校後山分校

あヽ風の神よ 神湖の地に 廃校発見!

湖南小学校後山分校

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諏訪湖から少し離れた山里の中にその廃校はひっそりと存在していた。
周りは静かな秋の山に囲まれている。時間は早朝。少し肌寒い空気が冬の訪れを告げる季節であった。

2011年最後の廃墟、ご覧ください。


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眼下に校舎が見えてきた。
今回紹介するのは昭和43年に閉校となった小学校であり、校舎の形状など面白い木造廃墟である。その雰囲気から実写映画「ひぐらしのなく頃に」の撮影に使われたようだ。


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赤い屋根の校舎が雰囲気を醸し出している。


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木造校舎。三階建てだという。特徴的な階段の窓枠が見て取れる。


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下まで下りてきた。これは体育館である。


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紅葉の季節はもう終わっていたが、椛が赤々と紅葉していた。


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正面から見る。校舎の作りが凄く面白い。


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本当に特徴的な構造である。懐かしい雰囲気が漂ってくる。


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体育館のほうから入ってみよう。


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自分が通っていた小学校を思い出す。


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体育館へ。


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体育館の中はどこにでもあるような感じだった。だが逆にそこが良い。落ち着く。


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なかなかこじんまりといているような気がする。壁にはバスケットゴールがひとつ。


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木造の廊下にでて校舎に向かう。


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朝日はガラスの埃のせいで淡く室内に流れ込む。


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本当に小学生の時を思い出す。こんな光景見たことある。


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窓枠三連発。


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昔見たことあるような木の椅子と水飲み場。


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トイレ。学校の怪談といった感じ。


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廊下の先に教室が見えてきた。


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扉があいている一部屋に入ってみる。


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幻想的な陰影の部屋。外の紅葉も良い味を出している。


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別の部屋。畳張りになっている。ここは地元の人たちに使われているようだ。


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階段を登って二階に向かう。


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窓枠のシルエット。四角く区切られた空が浮かぶ。


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やっと教室らしい部屋を見つけた。机が物が乱雑に置いてある。


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ふわ~っと光が入ってきている。辺りは凄く静かだ。


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廊下に落ちていた。自分が小学生の時には、全力で廊下を走ってそのままガラスに突っ込んで血まみれになった奴がいたな~と思いだす。


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窓際にいた鳥。最初は本物かと思った。


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何度も窓枠を見てしまう。振り返って何度も確認してしまう。不思議な魅力がある。


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一番奥の教室に机と椅子があった。昨日まで授業をしていたようだ。


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たくさんの子供たちの思い出が刻まれている教室だ。


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そろそろ次の廃墟に向かうとしよう。


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終始不思議な魅力を窓枠が放っている。見える景色もいつもと違って見えた。


今年のこと
今年はいろいろなことがあり過ぎた。自然現象としてはまず九州の火山噴火から始まった。それも収まらぬままに3月11日を迎えた。東北地方を襲ったマグニチュード9.0の大地震は、その後の津波と相まって、多くの人命と財産と思い出を奪っていった。その後の原発事故、世界的な同時不景気、歴史的な円高と、日本を取り巻く環境は下へ下へと向かっていたと思う。
だが、そんな中でも日本人は常に前を向いてここまで来た。震災と同時に多くの支援の手が世界中、日本中から届き、震災をきっかけとして前より日本は一つになったことと思う。今年の漢字一文字は「絆」であった。その漢字の現す通りに絆ということが強く意識された一年だった。
今が不幸のどん底ならこれより下は無いだろう。あとは心おきなく上昇あるのみである。

自分自身はどうだったろうか。何か変わったことはあっただろうか。そんなことを思ってみると、特に何も変わっていないと気づく。変化というものを望んでいるわけでもないし、今年も元気に廃墟や戦跡に行けて良かったなと思うばかりだった。

今年も残すところ少なくなった。皆さんはどんな一年だったろうか。来年はどんな一年だろうか。

では、良いお年を。

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今年も諏訪大社参拝できて本当によかったです(^u^)
  1. 2011/12/29(木) 20:40:39|
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【廃線】足尾銅山 足尾廃線

足尾の命脈は未来へ続く 廃線奇行

足尾銅山 足尾廃線

これは【足尾銅山 新梨子油力発電所】からの続きです。
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足尾銅山の本山製錬所を一望できる場所があった。
ここから見える景色は以前の足尾から比べればさびしいものになっている。製錬所施設の解体がかなり進み、通称「像の檻」と言われていた巨大な廃墟も、現在ではその土台の骨組しか無くなっている。この足尾銅山を世界遺産にしようとする動きがあるようだが、こんなに当時の遺構を解体してしまって良いものなのだろうか?

この足尾本山製錬所に直結する貨物鉄道が存在した。その鉄道とは「足尾線」である。この足尾線は大正3年に本山製錬所に直結し、以来足尾の命脈として貨物輸送に従事してきた。だが、足尾銅山の閉山が決定した時、この足尾線も運命を共にするより他に無かった。昭和48年に閉山した後も、足尾線は細々と輸送をしていたらしい。だが、昭和63年に完全に廃線となった。現在はわたらせ渓谷鉄道の一部に組み込まれているようだが、復活の兆しは無い。

では足尾廃線を見て行くことにしよう。


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ならない踏切。この踏切が足尾本山製錬所へ続く第一歩である。


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錆ついた踏切警報機の向こうに線路が続いているのがわかるだろう。この先に行くとわたらせ渓谷鉄道の間藤駅に到達する。


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先ほどの踏切を間藤駅方面ではなく足尾本山方面に行くとすぐに鉄橋が現れる。下を橋がクロスしているのだ。


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なんとも趣のあるガーダー橋だ。下には澄んだ川が流れている。


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このまま歩いて行けば本山製錬所にたどりつけるのだ。


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廃線になってからだいぶ時間が経っているが、しっかりと線路は残っていた。


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これは本山手前の二つ目の隧道である。一つ目はこの手前に存在する。ここには隧道進入のためなのか信号があった。


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今はあまり見ることも無くなった古い信号である。何故だか懐かしさが湧いてくる。


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隧道は短い。すぐに出口に到達した。


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出口から入口がはっきり見て取れる。


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隧道の左端に「列車確認」の文字があった。何事もしっかり確認しながら行わないと大事故を招くものである。


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いよいよ線路は本山製錬所に近づいていく。


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そして、本山製錬所の廃墟群が姿を現した。


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本山製錬所の手前の谷には見事なガーダー鉄橋があった。


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橋梁には「出川橋梁」と書かれていた。この橋梁は九州鉄道から払い下げられたものらしい。


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渓谷から伸びる一本のコンクリート支柱がなんとも頼もしい。


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橋梁の手前に、錆びたワイヤーと遺構があった。


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さっそく渡ってみよう。


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橋梁からは景色を一望できる。良い眺めだが少し怖い。


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ここまで来ると本山製錬所施設がはっきりとしてくる。この施設はそのほとんどが廃墟である。


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先ほど一望した方向の反対側。自然豊かな渓谷の風景。だが、以前はここも鉱毒に汚染されていたに違いない。関係者のたゆまぬ努力が、ここまでの回復を実現したのだ。


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橋梁の隙間より下を見る。わかりづらいが、かなり高い。


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そして製錬所に到着した。ここから先は立ち入り禁止だ。まったく人気のない製錬所は静けさを漂わせるばかりだった。


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静かな足尾を見ていると、この廃墟群がひとつの自然のように思えてくる。春夏秋冬に身をまかせながら、足尾銅山はその命脈を保ちつつ、未来に向かって生き続けているかの様だった。



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出川橋梁から見えた景色の中に特徴的な鉄橋見えたと思う。この鉄橋は「古河橋」という。この橋以前には木造の橋があったようだが、火災で焼失し、ドイツ人技師の設計によりこの橋は明治23年に完成している。橋の構造はワーレントラス構造である。
この橋は現在、日光市指定文化財になっている。


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「新梨子油力発電所」でもあった黒の迷彩がこの施設の壁にも施されていた。歴史を強く感じる発見であった。

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足尾銅山に歴史あり。
  1. 2011/12/17(土) 15:19:23|
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【産業遺産】足尾銅山 新梨子油力発電所

生きている廃墟

足尾銅山 新梨子油力発電所

これは【足尾銅山 通洞動力所】からの続きです。

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足尾の歴史を物語る遺構は多数存在するが、その中でも通洞動力所の隣に位置しているのが、この『新梨子油力発電所』である。
この廃墟は重油を燃料とする発電所であり、非常用電力供給設備として大正4年に建設されたようだ。当時としては日本でもかなりの発電出力を持っていたようだが、戦後の昭和29年には廃止になり、現在に至っている。

今回はこの廃墟を紹介しよう。


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よく見ると黒くペイントされている縞模様がある。これは戦中、敵機に攻撃されないための迷彩なのだという。何故黒なのかは分からないが、もしかしたら、擬装用のネットなども存在していたのかもしれない。足尾から取れる資源は、戦争継続に必要な戦略物資であり、攻撃されないように必死になるのも当たり前だった。


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近づいてみる。非常に古めかしい、戦前の建物によく見られる雰囲気を出している。


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赤十字マーク、ではない。これは労働災害安全のシンボルマークらしい。


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反対側にもある。こちらには保安の文字が見て取れる。「安全第一」という意味なのだ。


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通洞動力所側から建物を見る。


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通洞動力所で紹介した扉の向こう側。そこに新梨子油力発電所の扉がある。


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ここからは入れないが、内部の様子を見ることが出来た。


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なるほど。これは素晴らしい。期待は膨らむ。


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側面に回り込んで、新梨子油力発電所の正面に行くことにした。


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ふと見上げると、窓が見えた。


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ところどころ割れているが、なんともいい雰囲気を出している。


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側面にも小さな入口があった。だがここからは入らない。


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やっと正面に回ってきた。近くで見るとその存在感を強く感じる。


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大きな木の扉を開けた。


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内部には想像以上の廃墟美が存在していた。


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あぁ、見渡す限りの廃墟美空間。このような場合を自分は全周目標と呼んでいる。まさに幸せの極みの瞬間。


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改めてしみじみと思う。廃墟の世界は莫大に広いと。


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ここが最高だ。もうこれ以上はない。と思うと、すぐに別の廃墟が覆していく。


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ここが廃墟探訪の面白いところでもあり、無限に散らばる廃墟美を追い求めるという、過酷なところでもあるのだ。


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天井を見上げると、明らかに戦前のものであろうクレーンがあった。


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ぶら下がっていたクレーンの操作機。スイッチの構造をみると、かなりレアなものだと考えられる。


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廃墟に光が差し込んできた。そして、内部の様子ががらりと変わる。


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何度も言うように廃墟とは生き物である。


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状況により見える顔を幾重にも変えて行くのだ。


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この新梨子油力発電所も刻一刻と顔を変え、雰囲気を様変わりさせていた。


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美術館と言ってもいいと思えるほどに美しい。


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廃墟美とはまさに美術のジャンルであり、自然と時間と空間とその場の状況と建物が本来持つ美しさと歴史とが見せる、一大スペクタクルなのである。


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今この場所に立てて本当にうれしい。


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それにしても、惚れ惚れするような窓枠だ。


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年代物の空き缶が捨ててあった。


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柱と窓枠。見ていて飽きない。


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ここには地下室があるようだ。内部は真っ暗で侵入不可能だった。


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当時の部品だろう。床の苔と一体になりつつある。


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歯車が置いてあった。何かを訴えかけるように存在する。


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二階も存在する。だが、あまりにも床が腐りすぎていて侵入不可能。


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壁の電源スイッチ。


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ランプもこんなに素敵。この廃墟見どころが尽きることはない。


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いや、ほんと凄すぎですわ。


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そうこうしているうちに、すでに外は夕方になってきていた。


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と、ここでまたもや強い光が差し込んできた。


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廃墟に差し込む日の光が、別の廃墟を見せてくれる。


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神々しい。という表現であっている。


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廃墟から去る間際に、廃墟の神から贈り物だろうか。


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もはや言葉はいらない。しばし立ちつくした後、廃墟からそっと帰ることにした。




次回予告
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次回は、【足尾銅山 足尾廃線】を紹介します。

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70年前の今日、大日本帝国は運命の戦争を開始した。
  1. 2011/12/08(木) 01:40:40|
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