廃墟を旅する 

産業遺産や戦争遺跡、時を超えた郷愁への旅路へ・・・

【戦争遺跡・地下壕】陶製手榴弾大量発見の衝撃

おいおい、まじかよ・・・

陶製手榴弾大量発見の衝撃

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「陶製手榴弾」という物をご存じだろうか。
手榴弾というのは、鉄製の器に爆薬を充填した小型爆弾であり、よく戦争映画で使われている例のアレである。では陶製手榴弾とはなんであるか?それは大東亜戦争末期の大日本帝国が作りだした苦肉の兵器だった。
陶製という言葉通りに、本来は鉄製であるはずの器は陶器で作られている。何故か?戦争末期になってくると、連合軍の爆撃や海上封鎖により、国内の戦略物資はもとより、あらゆる物が不足していた。そのために鉄にかわる代用品を用いた兵器が多く生まれたのだが、その中の一つが陶器製の手榴弾だったのだ。これらの陶製手榴弾を作っていたのは有田や信楽、瀬戸といった有名な陶芸窯のある地域である。これらの窯も戦時中は国策に動員されたのだ。
作り方はいたってシンプルであり、陶器の器に爆薬(カーリット)を充填し、信管を詰めるだけである。弾体にはゴムで被膜がしてあったようだ。
威力は従来の手榴弾に比べて非常に弱く、無いよりはあった方がまし、というような代物だった。

昨年冬、自分は驚くべき情報を入手した。この陶製手榴弾がある場所に大量に廃棄されているというものだった。情報を集めて見ると、その場所は埼玉県のある沼であることが分かり、何でも、爆薬の充填工場で戦後いらなくなった陶製手榴弾の器を裏の沼に投棄したというのだ。いてもたってもいられなくなった自分はさっそく調査に行くことにした。


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太陽も傾き始めた夕暮れ。前回の調査で何も発見できなかった自分は、今回も何も発見することができないのではないかと半ばあきらめかけていた。だが、魅力的すぎる情報なだけに諦めることはできなかった。


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そういえばまだ調査していない場所があった、と思い今までみていなかった場所に行ってみることにした。


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・・・・・。うん!!!????

強い衝撃に体が固まった。


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え?ちょっと?マジですか?
予想の斜め上をはるかに飛び越して行くほどの光景がその場所にあった。


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これ全部陶製手榴弾の破片である。


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土の上、中、水の底、とにかく見渡す限り陶製手榴弾だらけである。これは夢であろうか。しかし現実であった。


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歴史的にも貴重な陶製手榴弾が大量に廃棄されていたのだ。


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まさに衝撃的な光景である。


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戦後60年以上経っているのに、よくこんなに残っていたものだ。奇跡に近いだろう。


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しばし、この驚くべき光景を眺めていた。


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ぼちぼち何があるのか調べてみることにした。


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大量にある陶製手榴弾の破片に交じって上のような物があった。これは「陶製地雷」であろうと思われる。あらゆる物資が不足した結果、地雷にも陶器が用いられるようになっていたのだ。


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よく見て見ると殆どの陶製手榴弾は割れているようだ。


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廃棄する際に破壊してしまったのだろうか。


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だが割れていない物もあるはずだ。自分は完品を探すことにした。


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そして、これだけの貴重な遺物を発掘することに成功した。


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欠けてはいるものの、ほぼ完ぺきな状態の物が五つ。そして破片が四つ。


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これは陶製地雷の上部破片である。


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裏側はこうなっている。陶器製の鉢植えにも見える。


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陶製手榴弾と破片。洗ってだいぶ綺麗になっている。


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本来なら見ることができない内部。


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これも内部の様子。真ん中につなぎ目が見える。上と下の部品を繋いで作られているのが良く分かる。


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陶製手榴弾を持って見た。手と対比することで大きさもわかってもらえるだろうか。


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ある破片に刻印されたマーク。これは信楽で作られたものであり、「信」の文字と「18」の統制番号が見て取れる。


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陶製手榴弾と陶製地雷の大きさの比較である。


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最後に。
使い道が完全に無くなった陶製手榴弾をどうにか使用できないかと棚の上に置いてみた。すると以外に良い感じのアンティークになることに気付く。本来なら爆薬が充填され、本土決戦のために使用されたであろう陶製手榴弾だが、この平和な時代を迎え、やっと本来の焼き物としての価値を発揮し始めたのだ。
このような代用兵器が再び使われないことを願いつつ、しばらく棚の上の手榴弾を見つめたのである。


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靖国神社の骨董市で1個3500円で売ってました・・・
  1. 2012/03/22(木) 23:14:44|
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【廃線】屋島ケーブル

歴史とともに眠る

屋島ケーブル

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香川県の屋島である。
かつてこの屋島の地は戦場となった。源平の合戦の一つである「屋島の戦い」である。平家はこの自然の要害を使い態勢を立て直そうとしたが、義経率いる源氏軍の前に敗北し、屋島は陥落。平家は四国の拠点を失い敗走。最後の決戦、「壇ノ浦の戦い」に挑むのである。
それからどれほどの月日が経っただろうか。屋島は観光地となっていた。山頂にある四国霊場八十四番の「屋島寺」を中心に、景勝地として人気を博したのだ。だが、レジャーの多様化や交通の不便さなどが重なり、山頂の土産物店や宿といった施設が軒並み廃墟化していく、苦しい時期を迎える。
今回紹介する「屋島ケーブル」も、そんな廃墟化の波に抗えず、廃線となってしまった一つであった。


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屋島ケーブルは屋島登山鉄道の所有するケーブルカーであった。設立されたのは戦前であり、前述した山頂の屋島寺に行くための唯一の公共機関であり、動力交通手段であった。大東亜戦争中の1944年に、不要不急線として運航が休止する。不要不急線とは字のごとく、戦時に必要ないので資材を提供せよ、という命令により、休止した路線のことである。だが戦後復活し、運航を再開した。1961年に屋島ドライブウェイが開通し、唯一の交通手段では無くなったが、運航は支障なく行われる。
このケーブルカーが廃線になったのは、屋島観光そのものが衰退したからだ。これも前述したように、屋島観光の衰退にともない山頂には一大廃墟群が現れ、この屋島ケーブルの経営も逼迫するようになった。そして、2004年に屋島登山鉄道が自己破産し休止線となり、その後、運航の歴史に幕を閉じた。
歴史は繰り返すとよく言うが、屋島の栄枯盛衰は繰り返したようだ。

上の写真は、二つある屋島ケーブルの駅の一つ、「屋島登山口駅」である。内部に入ることはできなかった。


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ケーブルカーの廃墟と聞いてどんなものだろうと思っていたが、裏手に回ってみるといきなり車両が停車していた。このようになっているのか。


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真正面から見る。全体からはレトロな雰囲気が漂ってきている。こいつがつい最近まで運航していたのかと思うと、よくここまで頑張った、という気持になる。


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ここに停車している車両は「1」と書いてある。山頂にもう一両同じ車両が存在し、その車両には「2」と書いてある。この二両の車両には愛称があり、1を「義経号」と言い、2を「辦慶号」と言っていたらしい。運航最後の日は機械故障の影響で終日運転が出来ず、「弁慶の立ち往生」という悲しい最後を迎えてしまったようだ。


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車内の様子。こんなハンドルで大丈夫か?と思ってしまったハンドル。


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外の光が差し込む以外、車内は物音ひとつしない。


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ひび割れた外装に「屋島」の文字が書かれていた。


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空中線のための支柱。こういう構造の鉄塔は大好きだ。


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空中写真からでも確認可能な細い線路が、山頂までほぼまっすぐ伸びている。
謎のおじさんが一人上から下りてきていた。


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駅と義経号


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この屋島ケーブルは運転再開の署名運動が行われているようだ。だが、運転再開の兆しは無い。


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この車両が山頂の弁慶と再会する日は、たぶん訪れないだろう。他の多くの廃墟がそうであったように。


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それでは、登山口はこれくらいにして、山頂のほうに行ってみよう。


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良い雰囲気の変電施設。「変電室」と書かれた文字のフォントが「絶望先生」で使われているようなフォントで素敵である。


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ということで「屋島山頂駅」に到着した。
見てわかる通りに、何でこんな構造にしたの?と聞きたくなるような斬新な駅舎だ。だがそこが、今となっては魅力のポイントとなっている。


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これ自体相当古い建物だろうと推測できる。戦前の建物ではないだろうか。


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趣のある駅名を現すプレート。


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「摩耶観光ホテル」を彷彿とさせるような作りである。きっと内部はさぞかし面白いのだろうが、侵入できず。


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裏側に回ってみると、静かに車両が停車している。これが弁慶号である。


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かつてはここから乗客が出入りしていたのだろう。光を受けて輝いている。


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正面から見る。つくりは義経号と一緒のようだ。


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こちらの駅は下に向かって急こう配となっている。気をつけないと転びそうだ。


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屋島ケーブルの運賃は、大人で往復1300円もしたようだ。これでは客足が遠のくのも当然かもしれない。


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誰もいないホーム。


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乗降確認のための鏡であろう。だいぶ曇ってしまっていた。


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運転席。こちらも義経号同様簡素な作りとなっている。


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ホームからすぐの場所に、この線路唯一のトンネルが見える。そしてかなり傾斜のついた線路。


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トンネルを抜けて下に延々と続いている。


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トンネル内部。外壁の作りが戦中の急造掩体の作り方と似ている。


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線路にあった№82と書かれたプレート。


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線路より、ホームと車両を見る。


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陰影の中に白と赤のラインが鮮やかに浮かぶ。


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「祇園精舎の鐘の声・・・」から始まる平家物語冒頭には、この世の常と廃墟が出来る真髄のようなことが全て書いてある。昔の人が考えたことと、今現在の人間が考えることは同じである。盛者必衰であり、あたかもそれは、風の前の塵に同じなのである。


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この世界の全ての物は唯春の夜の夢のごとし。幻想の世界は、はたして何時まで続くだろうか。

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  1. 2012/03/15(木) 05:51:41|
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