歴史の彼方に埋もれ行く城【娯楽系廃墟】天神山城

季節は緑鮮やかな真夏。もはや誰も使っていないのであろう一本の坂道を上へ上へと進んでいく。この先に今回の目的地である【天神山城】が存在するのだ。
今回の廃墟は少し特殊である。この廃墟はどちらかといえば戦争遺跡系に入っていてもおかしくない。何故なら、この城は本物だからだ。群雄割拠する戦国の世に生まれ、その運命を戦国の世で散し、戦いの中で歴史に埋もれた本物の戦争遺跡だからである。では何故娯楽系なのか?それは今現在廃墟になっている城は昭和45年に鉄筋で建築された商業施設跡だからだ。
簡略的に歴史をまとめてみる。
最初に城を築城したのは戦国武将藤田重利だとされる。その後関東で勢力を伸ばした北条氏に隷属する。だが今後は上杉謙信の勢力が関東侵攻を開始すると、そちらのほうに寝返る。北条氏は城を攻め、落城させた。1564年に北条氏邦が城に入り、北条方の城として使われていたが、1590年、豊臣秀吉による天下統一の最期の仕上げである小田原征伐の際に落城。1970年、300年以上経ってから城は鉄筋コンクリート作りで甦る。しかし、他の観光施設も含めて採算が取れず倒産。そして廃墟になった。
そして今に至るのである。

獣道とかした道を行く猟銃(カメラの三脚)を持つお兄さん。

完全に放置されているらしく、道路の脇は崩落していた。

しばらく進むと木々の間に建物が見えてきた。

そのまま道を進むとだだっ広い草原に出た。

先に観光施設と書いたが、いくつかの廃墟が出てきた。

バブル期ではないが、日本全国の廃墟と同じ運命をたどるところが共通している。目先のことだけしか考えないで作ってしまったのだろうか。

それでは内部に入ってみよう。

かなり荒れている。

残留物といえるものはほとんど無い。

ただ夏の日差しの中で静まりかえっていた。

床を見るとBB弾が散乱している。

サバゲーのフィールドとして使われたのだろう。

かつては宴会や宿泊などできたのだろうか?今となってはまったくわからない。

あの台の周辺はプールになっていたようだ。城にまったく関係ないところは倒産してしまった理由のひとつだと思う。

さぁ、ここはこのくらいにしておいて、肝心の城を見つけに行こう。

といったものの、この先道など無い。たぶんあったのだろうが今は森になってしまっている。とにかく上っていくが目的の城は見えない。

これか!違う。これは大変だ。一同あきらめかけたその時!

城の屋根らしきもの見ユ!

階段も発見。どうやらたどり着けたらしい。だいぶ山の上まで来た。てか頂上だ。当然か。本物の城跡だし。

そこに現れた城。なんだか想像していたものより地味だ。そして、ひどくこじんまりしてる!

気を取り直して重厚な鉄の扉から内部へ侵入。

内部の様子。ここもだいぶ朽ちている。いきなり入り口近くに穴が開いていて死にかける。

問題の穴。これは侵入者を警戒してのトラップであろう。落城してもなお戦い続けているようだ。

内部にはさまざまな歴史的残留物が放置されている。

天井は朽ちて穴が開いている。

糸車だろうか?詳細はわかりかねる。

先ほどの穴の開いた天井の下。どこもかしこも穴だらけだ。

消火用の道具だろう。いつの時代物ものかはわからない。

この城は二階建てだ。ぼろぼろの階段を慎重に登り二階へ。

うーん。どこにでもありそうな部屋だ。

当時はどうだったのかわからないが現在は木が茂り眺望はすこぶる悪い。

天井の穴。

特に見るべきものも無く下へ降りる。

以上である。
この廃墟がどうして廃墟になったのかお分かりだろう。このような物件は日本中にある。お役所が作った箱物物件から特に見るべきものの無い観光施設まで大量にだ。ことに廃墟探訪者を喜ばす以外の意味は無い。

夏草や兵どもが夢の跡 とは芭蕉が呼んだ有名な句だ。この廃墟における兵とは戦国武将だけではない。観光資源化を夢見た人たちのことでもある。

日本全国のこうした廃墟を作った兵たちを賞賛したい。

我々廃墟探訪者は彼ら兵の夢の跡を尋ねているのだから。
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月日は百代の過客にして、行きこふ年も又旅人也。
- 2013/12/20(金) 21:30:08|
- 娯楽系廃墟
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