今明かされる忘れられた本土防衛の要塞八丈島要塞 神止山地下連隊本部壕

八丈島。東京都の一角であるこの島は本土から直線距離で約280キロ。南海の島と言ってよく、冬でもさだ寒い程度だった。この島に何があるのか。それは地下壕である。ある雑誌からこの島に総延長60キロ以上の長大な地下要塞が建設されているという情報を入手した自分は去年の時点で居てもたってもいられなくなり、次の日には八丈島行きの航空機のチケットを予約していたのだ。
硫黄島を有する小笠原諸島が要塞化されており、数々の戦争遺跡が残されていることは有名だろう。だが、八丈島にこのような戦争遺跡が残っているとは知らなかった。そこで、八丈島が戦時中におかれていた現状について、まずは説明しよう。
上の図は昭和19年から20年にかけての米軍侵攻図である。
大東亜戦争初戦こそ連戦戦勝を重ねた日本軍であったが、昭和17年6月のミッドウェイ海戦の大敗北と、それに続くガダルカナル・ソロモン諸島を巡る大消耗戦の結果、海航空優勢は米軍のものとなり、戦線は大きく後退せざるおえなくなった。次なる米軍の目標は誰の目からもマリアナ諸島の日本軍拠点であり、その飛行場であると考えられ、その諸島(サイパン・グアム・テニアン)の防備要塞化が推し進められた。そして、満を持して挑んだ昭和19年6月の米軍来襲時、日本海軍は虎の子の空母機動部隊を繰り出しマリアナ沖海戦(あ号作戦)を生起させるが、結果は日本海軍の一方的な大敗北となり、事実上空母機動部隊は壊滅した。陸での戦いは、これも満を持して島を要塞化したサイパン守備隊が、米軍の着上陸から翌日の日本軍総反撃までで、その戦闘能力をほとんど失い、翌月にはサイパン島が陥落することになる。マリアナ諸島が陥落したことにより、ここに超長距離爆撃機B-29が配備されることとなり、以後日本本土は終戦まで、爆撃の嵐にさらされ続けた。
マリアナを落とした米軍は、いよいよ日本本土への上陸侵攻を視野に入れた最終路線へ動き出すことになる。その第一歩は、マリアナと東京のほぼ中間点に位置する硫黄島占領から始まる。昭和20年2月に硫黄島へ進行した米軍は、日本軍の巧みな陣地構築による迎撃で甚大な被害を出したものの、同島を3月に占領。続いて4月には、日本本土と南方資源地帯からの海洋連絡線遮断と、艦隊の泊地、物資集積所等の確保の観点から沖縄へ侵攻。大激戦のすえ6月に同島は陥落した。いよいよ、日本本土侵攻の準備は整えられたのである。
このような情勢下のなか、八丈島を守備する第67旅団は延々島の地下要塞化を進めていた。島はサイパン島の戦訓を取り入れ、縦深による地下複郭陣地を構成し、かなりの数の地下陣地が終戦までに建設されていたが、この島に米軍が上陸することは無かった。というか、米軍はこの島に興味など無かったことだろう。硫黄島を占領したのは、その飛行場を確保し、マリアナ諸島から飛来するB-29の緊急不時着場とすることと、護衛戦闘機の発信拠点にすることという理由があったが、硫黄島を占領したことでその作戦目標は達成されたわけで、本土に近すぎ、なおかつ戦略的にも戦術的の意味のない八丈島侵攻は計画されなかったのだ。
現在、島が要塞化され、長大な地下陣地が残されていることを知っているものは、わずかしかいないだろう。
当時、島を要塞化し、硫黄島や沖縄のように島を墓場として戦おうと決意していた全将兵に対して敬意をはらい紹介する。

この島には一個旅団が駐屯しており、それは二個連隊から構成されていた。島には2つの司令部地下壕(日本陸軍では、連隊規模の司令部のことを本部と読んだ)が確認されており、今回紹介する【神止山地下連隊本部壕】は戦時連隊本部であり、次に紹介する【鉄壁山司令部地下壕】は戦時旅団司令部である。島はほぼ全周を断崖に囲まれ、上陸予定浜を見てきたが、岩に波が打ち付けている有り様であり、ここに米軍が上陸するのは至難ではなかったかと推測される。
注 上の図では地下司令部壕とありますが、正しくは連隊本部壕。連隊は独立混成第43連隊

神止山の登山道をだいぶ登ってっきた。もう頂上付近と思っていると、暗闇からいきなり壕口が現れた。自分は歓喜して突入を開始した。

長方形に掘削された部屋があった。兵員の待機所だろうか。

奥の部屋の窓。銃眼かあるいは観測用の窓だろう。
ここにきて少しおかしいと気づく。この壕は小規模すぎ、自分の持っている情報と違う。これは違う壕のようだ。

入り口から伸びている通路の先にあった窓。

閉塞した部屋。

綺麗に掘削された棚があった。

入り口を見る。外は暗い。

入口近くにはコンクリート製の貯水槽があった。

貯水槽は本土の壕だとそこまで頻繁にみるようなものでもない。しかし、この後の探索で八丈島にはこのての貯水槽が沢山発見された。

この壕は観測の為のものだと思われるが、仮に上部壕としておく。
司令部壕の入り口はしばらく発見出来なかったが、ある場所の獣道らしき急斜面を降りた時に、それは唐突に現れた。

神止山地下連隊本部壕の壕口である。
八丈島の地下壕と検索しても情報がほとんど出てこない神止山の地下連隊本部壕に辿り着いたのである。

さっそく壕内に侵入。
暗く狭い通路が奥に通じている。

入口近くの貯水槽。これは一部コンクリート製で岩をくりぬいて作られているようである。

狭い部屋。待機所か。

この壕は大きく分けて三層から構成されている。現在居るのは頂上付近の上層部である。とりあえず上層部を見て回る。
奥に進む。

これは銃眼だろう。上部層には銃眼が多くある。

棚の上に薬瓶らしき瓶が一つだけおいてあった。

さぁ、入り口まで戻ってきた。左に見える暗い通路に進む。

すると狭い階段が作られていた。これもテンションが上がる出来栄えである。

とにかく狭い。そして急。これはこの壕の特徴のひとつであるが、司令部壕といっても実際の戦闘を意識した作りになっているのか、狭く、そして縦横無尽である。

下から階段を見てみる。

階段出口。

階段を出て左に行くと、すぐに銃眼の作られた狙撃部屋があった。

銃眼はコンクリート製であるが、大きな岩が中に入れられている。

何かがはめられていたのか、溝があった。

狙撃部屋から通路に出る。コンクリートで通路を塞いでいたかの様な跡。

右が先ほどの階段。

閉塞した部屋に落ちていた一升瓶。地下壕ではよく見るが当時のものだろうか?

通路の先にあった丁字路。

丁字路を左に進んでみる。

するとコンクリート製の貯水槽がある出入り口があった。この壕は多くの出入口が山の至る所に開いている。出撃口や脱出口など、一つが潰されても大丈夫なように沢山つくってあるのだ。

貯水槽の作り。板で枠を作ってコンクリートを流し込む簡易な作りであると思われる。

隣の壕口。土のうコンクリートで閉塞されていた。

通路に戻って先ほどの丁字路を右に行くと、閉塞した部屋に銃眼が作られていた。

コンクリートでしっかりと作られている。

射線は山の斜面を掃射出来るようになっていると思われる。

狙撃部屋の中の棚。これに弾薬ボックスでも置いておくのだろう。

クランクした通路。わざとクランクさせて銃撃戦になっても直線で撃たれないようになっている。

銃眼。地図には出入口と書いてあるが、これは狙撃部屋だろう。

この壕はとにかく縦横無尽で面白い。既存の壕内の概念を打ち破る。これもその一つだろう。

はしごがあるのだ。

このはしごがなければこれだけの段差を登るのは一苦労だ。攻め寄せる米軍に対して最後の籠城を考えてのことだろうか?
この下から上部層から中部層へと切り替わった。

このはしごの下で機密文書発見!先人がここで落としたのだろう。なんてラッキー。これは後の壕探索で有利に働いた。敵の戦術地図を手に入れた気分だ。

はしごの無効にはまた丁字路。

これは銃眼か出撃口かわからない。

この窓から外を見る。眼下に八丈の町の灯りが見て取れた。

狭いが形状から見て銃眼だろう。

本当にこの壕は攻撃的である。

通路に戻る。

ここで面白い構造が現れた。

広い空間のある部屋だ。奥に進む通路が見て取れる。

腐った木片。当時のものだろう。このように壁の溝に木材を入れ、当時はフローリングの床や天井が作られていたものと思われる。

先ほどの奥の通路を行くと左に折れてすぐにまた左折する。そして同じような部屋。ここはまるでコの字型の様な構造になっているのだ。このような構造がもう一つこの先に見て取れた。

通路に出て進むとまたクランク。

そして直線の通路。

おなじみの丁字路。左にまがってみる。

するとすぐに土砂で閉塞しているが、貯水槽がある。

これはかなりしっかい作られている。

コンクリート製のあり、周りには木材の柱。形状から当時は天井でもあったのだろう。

コンクリートに文字が刻まれていた。「昭和二十 八月」と見て取れる。当時の建築に携わった誰かが刻んだものだ。昭和二十年八月といえば言わずもがな終戦の月だ。これを作ったその月に戦争が終わると予想出来だたろうか。

通路が枝分かれしている場所に着いた。

左にいくと出入口がある。

壕口のそとから内部を見てみる。

右側の通路を行く。

するとまた階段が現れた。

そして、階段の先にあったのは、細い長い通路だった。

かなり長い通路である。細い通路がクランクをしながら先に通じている。

やがて丁字路が再び現れた。

閉塞してはいないが、土砂が流入している出入口。実はここから自分は入ったのだ。かなり苦労した。

ここにきてやっと碍子がひとつ。この壕にも電気が来ていた跡が発見された。

広い空間。通路が分岐している。十字路のようになっている。

別アングル。

奥に別の出入り口があるようだ。

出入口を近くから見る。

通路を見る。

通路の脇にある階段を降りて先へ進む。

ちょっとした階段も、本土では珍しいものだ。

そしてまた圧迫感のある細い通路が続く。

ここからまた変わった作りになっている。

短い距離で閉塞する部屋がある。このような部屋が6っつこの先にあった。これは物資の倉庫だろうか?それとも戦闘に関する施設だろうか?これは分からない。

その先にある突き当り。いよいよ通路が複雑になってきている。

まずは突き当り左。すぐに出入口になっている。

かなり傷んで入るがコンクリートで舗装されている。

通路。先へ進む。

やけに綺麗に掘削されている壁。際立って見える。

先へ進むほど細くなる通路。

黒縁のメガネが通路に落ちていた。ここで何が会ったのだろうか。

せまい階段がある。

さらに通路は細分化される。

この壕はゲジゲジさんはあまりいないのだが、やけにやもりさんがいる。こいつはたくさんいる。

銃眼と思われる窓。

再び狭い通路に戻る。

これも銃眼と思われる。これはわかりやすい作りになっている。

銃眼の前にある一人分が立てるほどのスペース。これは狙撃手がこの場所に立って射撃出来るようにしているのだろう。

真正面には穴。これは珍しいのではないか。

通路の分岐点に戻って先に行く。

通路の先へ進む。

通路の先に左に進む道がある。この先にこの壕の最も特異な階段があった。

なんと螺旋階段だ。階段は途中でクランクし、下に伸びているのだ。

螺旋階段の中間点にはテラスがあり下に伸びている。

螺旋はわずかに一段階だが、このような遺構は見たことがない貴重なものだ。

螺旋階段を通過したらついに最下層の下層部へ到着だ。

ここまで来たらはっきり言ってよく構造が分からなくなった。迷宮化してきたのだ。

壕口より内部を見る。

下層部でも銃眼が発見された。

狙われる米軍もたまったものでは無いだろう。

通路は更に細く、十字路や丁字路が折り重なる。

この要塞もそろそろ終盤である。

階段を降りる。

ある壕口から内部を見てみた。この時外の様子がおかしいことに気づく。なんと八丈島はとんでもない嵐になっていたのだ。明日の飛行機が飛ぶか不安になってきた・・・

外に目をやると激しい風で木が揺れていた。なんだか畑のようだったので調べてみたら、シンノウヤシという八丈島の特産品であった。主に観葉植物として出荷されるみたいだ。

かなりの崖。これでは降りられない。この壕口は身を乗り出して敵を狙撃するためのものと思われる。

半分埋まった貯水槽。

再び通路に戻った。

今日何匹目かわからんやもりさん。こいつらは上から容赦なく落下してすぐさま逃げ出す。ゲジゲジの100000万倍かわいい。

閉塞した倉庫。

個々に来て閉塞した部屋が目立ち始めた。倉庫なのか、起居室なのか。

兵員の為の部屋であると思われる。

通路から。奥に見えるのは先ほどの埋まりかけた貯水槽だ。

部屋。

壁に残された無数の痕跡。手掘りの証拠だ。

そして、今回最後の急で細い階段通路が現れた。

鮮やかで面白いのだが、いかんせん足が限界だ。車に残してきたどらやき食いたい。

ちょっと広くなって最後のステップに進む。

ここが下層部でも一番低い最後のフロアのようだ。もう風来のシレンやってる気分だ。

最後の出口付近の小さな倉庫に入ったらそいつはいた。

銃弾である。弾頭部分であり、口径は13ミリといったところだ。最後の最後で掘り出し物だ。

そしてもうひとつ。最後の貯水槽。

貯水槽の下には当時の誰かの靴の跡。生々しく今も残っていた。
こうして、無事、神止山地下連隊本部壕の探索は終わったのだ。

あとは脱出あるのみ!

とおもいきや、なんとそとは原生林で道なんてひとつもない!おまけに真っ暗(午前1時)!嵐!急斜面!
これはかなりやばい。しかし、だからといって今の道を戻るのは嫌だ。悩んだ挙句に決心する。
ここを、降りよう。
こうして今探索最大の危機、下山が始まった。なんとか道に降りた時にはずぶ濡れ。カメラの三脚もなくなっていた。
八丈島の幻の巨大地下司令部壕探索することが出来て大いに満足だが、この島はこれで終わりではない。休むまもなく次の目標【鉄壁山地下司令部壕】へ向け出発するのだった。
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実は飛行機も着陸できるかどうか心配だった。ANAさんありがとうございました!
- 2014/01/13(月) 03:26:56|
- 戦争遺跡・地下壕
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