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廃墟を旅する 

産業遺産や戦争遺跡、時を超えた郷愁への旅路へ・・・

【戦争遺跡】津堅島の戦跡

沖縄地上戦は本島だけの戦いでは無い。小さな離島の地上戦

津堅島の戦跡
資料1
 津堅島は沖縄本島の東、勝連半島の南東に位置する小さな島だ。人口は約500人、一番高い場所でも50mもなく全体的に平坦な島だ。戦前から根菜類を育てるに適する土壌を有し、現在では島の面積の約3/1がニンジン畑ということからキャロットアイランドの別名を持つ。
 このような穏やかで静かな島にも戦争はやってきた。沖縄戦は本島の戦いが1941年(昭和20年)4月1日の米軍嘉手納上陸から開始された。この島の戦争は4月10日の米軍上陸から始まる。小さな島の持つ意味は、中城湾への敵艦船を妨害するというものであり、重砲兵部隊や歩兵部隊などが僅かに配置されていた。 守備部隊は島の西部に位置する高地帯に陣地を構築し、火力と兵力を集中配置して迎え撃った。
 米軍は事前の艦砲射撃と爆撃後に、島の南部と東南部の二か所の浜から上陸し、その日のうちに日本軍守備隊の護る陣地へ向けて進撃した。守備部隊は果敢に火力戦闘を行うが多勢に無勢、戦闘一日目にして大きな被害を受け、次の日は玉砕かと覚悟した。
 しかし、次の日になると米軍の姿は消えていた。日本軍特攻艇による艦艇攻撃を恐れたのかもしれない。ともかく守備隊の玉砕は回避された。しかし、勝連半島への脱出が失敗し、4月23日になると再び米軍は上陸してきた。そして今後こそ陣地への火炎放射攻撃を含む掃討戦により、守備部隊は壊滅的被害を受けて戦闘は終結した。


資料3
 上記資料はこの島に配置された部隊と大砲の概要である。
 重砲兵第7連隊は元々中城湾臨時要塞の要塞砲兵であったが、沖縄での戦闘が現実的になる中で野戦部隊として改変されたのだ。その一部が津堅島に配置された。人員は約130名、砲は各種4門だ。砲は陣地帯の地下壕に配され、米軍上陸想定浜に向けられていた。


001_津堅島
 島へは勝連半島の平敷屋港からフェリーで向かう。

002_津堅島
 早朝のフェリー乗り場は閑散としているが、全然人が居ないわけではない。

003_津堅島
 フェリーくがにの運航ダイヤ。以外に往復便が日に何回も出ているようだ。

004_津堅島
 定刻時刻。船は静かに出港する。

008_津堅島
 曇り空の下、一路津堅島へ向けて進んでいく。

009_津堅島
 途中米海軍の軍港ホワイトビーチが見える。この場所には米海軍や海上自衛隊の艦船が入港している。

015_津堅島
 手前の艦船は海自艦艇だ。昨今の南西諸島情勢を受けて、この軍港に入る艦船もひっきりなしだ。

018_津堅島
 しばらくすると平坦な島影が見えてきた。

019_津堅島
 津堅島だ。当初の情報通り、島は全体的に平坦で著名な高所は見られない。

025_津堅島
 正面に見えてる場所が島の高地帯であり、守備隊が陣地を構築した場所だ。この場所には古い遺跡があり、島の歴史にとって重要な場所である。

028_津堅島
 津堅港にあと少しで入港だ。

029_津堅島
 ここまで運んでくれたフェリーくがに。側面にはにんじんのキャラクターが居る。

030_津堅島
 津堅港を出ると小さな集落がある。小さいといっても以前の【高島】に比べれば遥かに大きい。
 その集落の道をトコトコ進んでいく。


031_津堅島
 あずま商店さんだ。このお店は自転車を貸してくれる。島を観光するのも貸自転車が最適だろう。

032_津堅島
 先ず来たのは米軍が上陸したニンギ浜。これまた小さな浜田が、かつてこの場所に米軍は来襲した。

033_津堅島
 浜の先に道が続いていた。その道を進むとレンガが見えてくる。

035_津堅島
 旧・津堅灯台跡だ。この灯台も戦時中に破壊されてしまったという。

074_津堅島
 移動して島の展望台(その名もニンジン展望台)に来た。この場所からは米軍の上陸地点と進撃ルートが一望できる。
 当時はまさにこの高地に向けて敵が迫る様子が見えただろう。


075_津堅島
 高地帯は遺跡もあるがほとんどは手つかずの森に戻っている。僅かに整備された遊歩道を進んでいくと、人工的な石垣が現れた。

076_津堅島
 明らかに人の手で積まれている。これは遺跡かそれとも戦跡か。

077_津堅島
 そして高地の頂上付近に穴が開いていた。

080_津堅島
 自然の洞窟を利用して構築された陣地のようだ。大きく開いた穴が破壊の跡なのかは分からない。

081_津堅島
 入ってすぐの空間は僅かだが、地下に通じる部分が有ることに気づく。

083_津堅島
 当時この場所は何に使用されていたのか。

084_津堅島
 高地の中央付近にあることから、重要な施設だったのかもしれない。

085_津堅島
 先ほどの地下部分への侵入を試みる。

086_津堅島
 入口は非常に狭い。長年の土砂崩れの影響だろう。

088_津堅島
 だが、内部はそれなりに広い空間が残っていた。

089_津堅島
 全てが当時の物とは限らないが、残留物がいくつか残っている。

091_津堅島
 幅は2.5m、全長は40~50m程度の空間だ。

092_津堅島
 錆びたオイル缶。

093_津堅島
 当時の缶詰だろうか。

094_津堅島
 これは当時の靴だろう。

095_津堅島
 沖縄の戦跡では戦闘の痕跡として軍靴がよく見つかる。皆出撃時に脱いで足袋等に履き替えるのだろう。
 そして持ち主は帰らず、靴だけが戦跡に残り続ける。


096_津堅島
 そして先の部分は崩落で塞がっていた。

097_津堅島
 僅かな空間だが確かに実戦の痕跡を感じた。

098_津堅島
 この場所でも多くの方が亡くなったのだろう。

100_津堅島
 先ほどの陣地を出て山の中を探索。すると地面に塹壕等の痕跡を発見。

101_津堅島
 溝や窪みは当時の陣地の跡だ。自然についた跡ではない。
 これらの跡を見分ける方法は、やはり地形効果の判定と当時の部隊配置状況、そして経験だろう。


102_津堅島
 しばらくさ迷うと壕の入口を発見。早速近づいていく。

105_津堅島
 途中岩の上に鉄の破片を見つける。これはさく裂した砲弾の破片だろう。このように小さな破片でも、人体に当たれば致命傷になる。

108_津堅島
 この森の中には見えないだけで無数に破片が残されている。

109_津堅島
 壕口に到着。探索開始。

111_津堅島
 入ってすぐの様子。かなり小さな空間だ。しかし、向こう側にコンクリート造アーチが見える。どうやら砲台トーチカのようだ。

112_津堅島
 弾薬置き場か兵員の待機所か、小さな空間。

113_津堅島
 さて砲台である。

115_津堅島
 沖縄の戦跡では元々墓だった場所をトーチカに利用している物もあるが、これは墓の作りではない。

116_津堅島
 元から砲台として構築されたようだ。

117_津堅島
 上部のコンクリからは鉄筋が出ている。

118_津堅島
 鉄筋コンクリート造であることが解る。

120_津堅島
 砲口は島の西側トゥマイ浜に向いている。残念ながらこの場所から実際の米軍上陸部隊を狙うことは出来ない。しかし、当初防衛とは敵に主動の理があり、防御側は上陸されそうな場所に向けて陣地を構築しなければならず、少なからず狙うことの出来ない砲台が出てしまうのだ。

121_津堅島
 砲口から内部の様子を見る。

122_津堅島
 砲口外側の様子。

123_津堅島
 コンクリート造の部分が四角く出来ているのが良くわかる。

124_津堅島
 砲口周辺は掘り下げられているが、必要以上に掘削をしないで偽装効果を高めている。遠くから見たら砲口を簡単に見つけることは出来ないだろう。

126_津堅島
 再び森の中を探索する。

127_津堅島
 岩陰に小さな穴、壕口だ。

128_津堅島
 早速入ってみる。

130_津堅島
 内部は一室しかなかった。この壕は異様に湿度が高く、蒸し暑い。

131_津堅島
 解りにくいがこれも陣地だろう。うねる様に溝が掘られている。

132_津堅島
 この場所で鉄製の水筒を見つける。これは第二次世界大戦時米軍が使用していた物に酷似しているが、当時の遺物だろうか。
 日本軍の物は見たことあるが、米軍の水筒は珍しい。


134_津堅島
 崖の下に開いた小さな穴も戦闘と関係ない物ではない。

135_津堅島
 このような自然の穴も利用しながら戦われたのだ。

136_津堅島
 岩と岩の裂け目。

138_津堅島
 裂け目の先に岩を積み上げた形跡がある。これも狙撃用の台座にはうってつけだ。使えるものは全て使用し優勢な敵に対処する。

140_津堅島
 圧倒的な海空優勢を持っていた米軍に対処するにはそれしかない。

142_津堅島
 自然な物も、人工的な物も、頼れるものは全て頼る。

143_津堅島
 それでも、厳しい現実は変わらず、敗北は避けられなかった。

144_津堅島
 浜から高地帯を見る。この海岸線には自然の穴がたくさんあり、島民はその穴に隠れたようだ。

145_津堅島
 トゥマイ浜。

146_津堅島
 高地帯から離れて集落方面を探索。空き家だが伝統的な沖縄民家かあった。

151_津堅島
 最後に訪れたのはアラカーという場所にある砲台トーチカだ。
 沖縄では水源や井戸を「カー」という。この場所も水源地のようだ。


152_津堅島
 アラカーの先に穴が開いている。

153_津堅島
 これがアラカーの砲台トーチカだ。周囲を壁に囲まれているために偽装効果は極めて大きい。

154_津堅島
 内部の様子。これも先ほどの砲台同様小さな陣地だ。

155_津堅島
 右側に弾薬庫か待機所がある。

156_津堅島
 壕の後ろ側に出入り口がある。いわゆる敵方の反対側だ。

157_津堅島
 入口から砲口の様子。

158_津堅島
 掘りぬいた穴をコンクリートで塞ぎ、砲口を構築する典型的な物だ。

161_津堅島
 観測窓等が無いが、観測はどうしていたのだろうか。

162_津堅島
 上部に鉄材がある。

163_津堅島
 鉄筋より太い。何かの鉄材を再利用したのだろう。

164_津堅島
 砲口コンクリートに緑のペイントがある。もしかしたらこの場所に目標となる絵でも描いていたのかもしれない。

166_津堅島
 砲口から射撃方向を見る。射界は狭く、限定的な地域を砲撃する用途が解る。

167_津堅島
 改めて外側から砲口を見る。この隙間が砲台だとぱっと見は解らない。

043_津堅島
 小さな島の戦跡探索を終了し、浜辺へ出てみる。

045_津堅島
 そこには静かに打ち寄せる美しい海と浜があった。
 かつてこの美しい風景も破壊され、砲弾と銃弾飛び交う阿鼻叫喚があったと伺わせるものは何一つない。


048_津堅島
 だが、確実にこの島で戦争は行われた。
 島の戦跡は何時までもその記憶を未来に残し続けている。


資料2
 津堅島の戦跡一覧。参考にどうぞ。


参考文献等
〇 沖縄戦史(http://okinawa-senshi.boy.jp/index.htm)津堅島の戦闘
〇 Wikipedia 津堅島 改造三八式野砲 九〇式野砲


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