場所は東京都調布市、ここに帝都防空の歴史が存在する。陸軍調布飛行場の掩体壕

町の一角にポツンとコンクリートの塊がある。これは飛行機を敵の空襲から守るためのもので「掩体壕」という。何故ここに掩体壕があるのか?それは、ここが戦時中に陸軍の帝都防空の任を受けた調布飛行場の近くだからだ。
陸軍調布飛行場には陸軍の三式戦闘機飛燕を始め、多数の航空機が配備され、帝都に侵入したB-29といった敵航空機を迎撃していた。掩体壕は飛行場の滑走路の周りに沢山配置され、天井がある有蓋掩体壕や天井が無い無蓋掩体壕等が存在した。その中のいくつかは今でも現存しているのだ。

この掩体壕は保存が決定しているようで現在そのための工事をみたいだった。

コンクリートでしっかりと建造されている。敵の戦闘機の機銃掃射やロケット弾攻撃、小型の爆弾攻撃なら中の航空機を守れるだろう。

中をのぞいてみると後ろ側が貫通していることが分かる。

調布飛行場の門柱。これは当時の陸軍飛行場だった時のものだ。
調布飛行場は終戦時、アメリカ軍に接収され、後に日本に返還されて、現在も調布飛行場として運用されている。

飛行場の隣の公園内にある保存されている掩体壕のひとつ。これを見ると飛行機がどのように格納されていたのかわかる。絵に描かれている飛行機が三式戦闘機飛燕だ。

わかりやすい模型が展示されていた。
この飛燕が所属していたのが「飛行第244戦隊」という飛行隊で、実際にB-29の迎撃に飛び上がり、体当たり攻撃などを敢行して戦果をあげた。

帝都防空は東京が爆撃され尽くされて目標がなくなったことから終了してしまった。
終戦から2010年の今まで、東京の空に敵性爆撃機が現れたことはない。しかし、確かに65年前に壮絶な帝都防空空中戦があったことをこの掩体壕は後世に伝え続けている。
テーマ:廃墟系 - ジャンル:写真
- 2010/11/13(土) 18:58:18|
- 戦争遺跡・地下壕
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白糸台掩体壕の近くの西部多摩川線線路沿いに、もう一つ有蓋掩体が残っていますよ!
こちらは母屋と合体した半地下工場として、今も使われています(私有地非公開)。また、武蔵野の森公園の反対側にある、野川公園のサービスセンターには、飛燕のプロペラも保存展示されています。
簡単な掩体壕の資料も貰えますよ!
- 2010/11/13(土) 23:21:03 |
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- yakumo #-
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工場の中にある掩体壕の存在は知ってましたが公開されてないばかりか近づいたら怒られるそうなので内部を見ることはできないようです。
飛行場の近くに高角砲陣地の台座が残っているようですがこちらは見つけることができませんでした・・・
飛燕のプロペラは機会があったら見に行ってみます!
- 2010/11/14(日) 16:14:31 |
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- みょん #-
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きちんと掩体壕をさがしていますと言えば、KO!
自分は写真を撮って良いですかと聞いたら、内部に案内してくれました。
個人邸と工場と掩体が合体してるので無断で入ると怒られるでしょうね。
高射砲台座は丘の上にある、椎の実子供の家保育園内にあります。
平日、事前に電話しとけば中に入れてくれますよ。
掲揚台や花壇になってます。
- 2010/11/15(月) 21:34:32 |
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- yakumo #-
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