場所は福岡県志免町、ここにひときわ目立つ廃墟が存在します。志免鉱業所・立竪坑櫓
志免鉱業所は1889年に新原採炭所として設立されます。
この炭鉱はもともと海軍の艦艇用燃料である石炭を掘削するために作られたので、戦争遺跡ともいえます。
現在志免にある立竪坑櫓は1929年に志免に炭鉱拠点が移った後、太平洋戦争が始まる1941年に工事着工され、43年に竣工します。その後、1945年の終戦で海軍から運輸省などを経て国鉄に移管され、1964年に閉山しています。

この志免炭鉱立竪坑櫓は国の登録有形文化財として保存が決まった立派な産業遺産です。
このように廃墟が保存される例は非常に珍しいことだと思います。

この立竪坑櫓には現在昇ることはできません。すごく残念。

でも外見を見ても堂々としたこの姿!至高の廃墟のひとつだと思います。

これは坑道への入り口です。こちらも入れません。

凛々しいこの姿を見られただけでも九州まできたかいがありました。

最後に志免炭鉱立竪坑櫓についての説明が書かれた看板です。サムネをクリックすれば大きい画像で見られます。
この九州にきたホントの理由は伊万里川南造船所を見ることにありました。それは伊万里川南造船所が取り壊されるということを聞いたからであります。この志免炭鉱と伊万里川南造船所は戦争遺跡という点から似たような境遇を持った廃墟です。なのに保存と破壊という両極になる理由はいったいどこにあるのでしょうか?
テーマ:風景写真 - ジャンル:写真
- 2010/10/11(月) 00:12:56|
- 産業遺産
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