美しい島にも戦跡あり宮古島の特攻艇秘匿壕
前回の
【第三十二軍司令部地下壕跡】【伊原第一外科壕】から引き続き沖縄戦です。

沖縄南西諸島の南の果ての方に宮古島という綺麗な島がある。島は隆起サンゴ礁の石灰質で出来ており、美しい海とさとうきび畑が一面に広がり、島民は穏やかに暮らしている。
そんな島にも戦跡はある。戦争はこの島にも影響を与えたのだ。
この島には沖縄を守備していた第三十二軍のうちの第二十八師団が守備に就いていた。飛行場も三つあり重要な拠点の一つだったのだ。そこに米軍は1944年10月10日に艦載機による空襲を敢行した。以後度重なる空襲で宮古島は大きな被害をこうむることになった。
そのような戦争の歴史を伝える戦跡だが、ここにあるのは末期の日本軍が取った「統率の外道」たる戦術、特攻のために使われた兵器を秘匿するために使用されていた秘匿壕である。その兵器とは特攻艇「振洋」である。

振洋とは海軍の特攻艇のことである。これは簡単にいうとモーターボートで、爆薬を積んでおり、海上を疾走して敵艦に激突し爆発するというものである。
上の図は秘匿壕の大まかな位置と、パイナガマビーチにあるトーチカの銃眼の位置である。

宮古島パイナガマビーチ

夕方のビーチはなんともいい雰囲気であった。
このビーチは米軍の上陸地点になると予想されており、そのためトーチカが築城された。

砂浜に埋まるようにしてトーチカがあった。銃眼は砂浜を側射できるように出来ている。見た感じガマの内部をコンクリートを使ってトーチカにしたのだろう。

内部をてらしてみる。

内部は部屋になっている。残念ながらこの部屋に入るための壕口を発見することはできなかった。

夜になった。宮古島にはハブなどの毒蛇がいないらしい。なので探索の際気にする必要はなかった。

30分ほど歩いたろうか、突然壕が現れた。

これは探さないと絶対見つからないだろう。人通りも全くない道の端にあった。

内部に入ってみた。内部は四角に掘削されている。

振洋を射出する際に用いたと思われるレーンの後だろうか。

レーン跡は壕の後部まで続いていた。

壕内部より外を見る。

壕後部左側に通路があった。少し崩落している。

通路を進むと同じ規模の壕があった。この秘匿壕は二つの同じ規模の壕を通路でつないでできているようだ。
と、気になるものがある。

この入口の石積みは人為的なものだ。これは敵の手榴弾攻撃などから壕を守るために積んだものらしい。直接的な米軍の上陸があり得る状況であった宮古島では、このように臨戦態勢が取られていたのだ。

さっきのとは別の壕がすぐ隣にあった。

この壕はかなり崩落している。形状は先ほどの壕と同じだった。

もはや命がけの状況にある。
この一帯には崩落が激しく入れない壕も含め11個の秘匿壕が確認できた。
観光の島宮古でも、66年前には戦争という現実に翻弄されていたのである。
次回予告
沖縄戦跡特集4回目となる次回で最終回です。
次回は、「沖縄海軍根拠地隊司令部壕」です。
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- 2011/04/15(金) 01:31:20|
- 戦争遺跡・地下壕
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