あぁ、なんて素敵な廃空間小倉沢小中学校

人里離れた山の奥に、日窒鉱山集落というものがあった。そこでは鉱山夫やその家族が暮し、山の繁栄の中で生活していた。共同風呂や一軒しかない商店、人々は強いつながりの中で暮していたのだろう。そんな共同体には子供たちのための学校も存在した。それが、『小倉沢小中学校』である。

古びた橋を渡ると校庭に出た。そして、学校の校舎が目に入った。

山を背にしたその学校は不思議と、哀愁と懐かしさをまとっているように思えた。

朽ちた遊具が、過ぎ去った時間の長さを感じさせる。

近くの校舎に入り階段を昇ってみる。

二階は体育館になっていた。物が乱雑に散らばる。

ベランダに出てみる。

渡り廊下があり、隣の校舎とつながっているようだ。

自分は一度一階に下りて、隣の校舎には一階から入るようにしている。自分の中でそれが正規ルートなのだ。

校舎の中。薄暗い廊下が続く。

階段を上って二階へ。なんだか学校の怪談に出てきそうな感じだ。

先ほど渡らなかった渡り廊下はここに繋がっていた。

懐かしい。ものすごく懐かしい。

二階の廊下。案外しっかりしている。

教室。ガランとしている。

右側通行。

ポツンとオルガンがある。

窓から見える風景。あれは教員用の宿舎だと思われる。

小1・2年生の看板。生徒数は少なかったみたいだ。

実は隣にも古い校舎がある。ここは中央階段とでも言おうか。

この部屋は音楽室だろうか?

当時の物が残っている。

小倉沢小学校七不思議の一つ、来るたびに場所が変わっている絵。

家庭科室。

二階の廊下を奥まで進んでいくと、隣の校舎への段差がある。

段差の通路の左からいったん校舎の外にでる。

水道。卒業生が作った壁画がある。

何から何まで木造だ。

また中に戻ってきた。

自分が勝手に「旧校舎」と言っている場所に来た。

旧校舎の教室。小倉沢で最高と感じている空間である。朽ちた教室に自然が侵入している光景。だが近年痛みが急速になっている。

もうひとつの好きな場所。かつての子供たちの活気はなく、あるのは流れない時間だけだった。

段差の通路に戻ってきた。下駄箱。出入り口の一つ。

天井の高い廊下。

異常なし

やわらかな光が差し込む部屋に椅子が一人。

色を無くしたはずの廃墟に鮮やかな色彩があった。

再び一階の廊下。

それでは、そろそろ小倉沢小中学校ともお別れの時間のようだ。

よく、廃墟には廃墟の神がいると思うときがある。

深い感動やノスタルジーを感じた廃墟には、それを感じさせるだけの何かが存在しているのだ。それを、自分は「廃墟の神がいる」と言っている。

この小倉沢小中学校には確かに、廃墟の神がいるのだろう。強くそれを感じられた廃墟だった。
おまけ
索道の朽ちた鉄柱っていいよね・・・
にほんブログ村廃墟の神に出会えるといいね
- 2011/05/30(月) 22:57:52|
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