驚愕の横須賀アンダーワールド夏島地下壕 倉庫壕・上部遺構群
兎に角横須賀はすごい。 何がというと、地下壕だらけなのだ。しかも大小問わず大量に現存している。それは、大日本帝国海軍最大の軍港にして、横須賀鎮守府という重要施設が存在し、海軍航空隊の一大基地があったからである。そのため、大東亜戦争末期には米軍の爆撃目標となり、寛大な被害を受ける。爆撃を避けるため、工場や軍施設を地下化した。さらに、敵航空機迎撃のための迎撃拠点、航空機の大掩蔽豪、本土決戦のための壕と、さまざまな地下壕が建設されたのだ。
今回の夏島地下壕はそんな海軍の地下壕だ。海軍航空技術廠(空技廠)が掘削したこの壕は三層からなっており、一階部分は主に四つの壕からなる。それは、「倉庫壕」「航空機掩蔽豪」「クレーン壕」「多目的壕」(筆者が勝手に言っている)である。二階部分は全てつながった壕であり、見た目から工場として何かを作っていたのではないかと思われる。三階目だが、ここは完全に封鎖されていて入ることはできない。そして、この遺跡はそれだけではない。上部にも軍の戦争遺跡があるのだ。
このスーパーグレート地下壕を今回から四回ほどで紹介していこうと思う。では、まずは「倉庫壕」と上部遺跡をみていこう。

まずは夏島である。ここは地下壕よりも貝塚としての方が有名なのではないだろうか。この周りは工場地帯となっているが、夏島が掘削されて消滅しなかったのは、この貝塚のおかげで国の史跡に指定されたためだ。

ちょっと山肌を見て回ると、このようなコンクリートで封鎖された壕口が沢山見て取れた。これはテンションが上がる!

壕口発見!いざゆかん!

では、一か所目の壕、「倉庫壕」へ入ってみよう。

ボロボロに錆びた鉄柵。その隣をすり抜ける。

当時の物はほとんどない。

泥に埋まる碍子。

鉄製の柱。

壕の一番奥に通路があった。突き進む。このころから恐怖の権化大ゲジ様が目につくようになる。

コンクリートで出入り口が封鎖されている。これは、最初に紹介した封鎖された壕口だと思われる。

またもや広い空間。だが水没のためこれ以上行けず。そして、一人だったために大ゲジ様が怖くて怖くて進めない。

通路から出て壕から出ることにする。

改めて見てみる。広い。

だがこの時、次に入った「航空機掩蔽豪」でとんでもない衝撃を受けることになるとは、知る由もないのであった。
「航空機掩蔽豪」へ続く・・・
上部遺跡群
これは・・・、御丁寧にも階段があった。

そして上に通じる石段を発見。
この上部の遺構は異なる二つの時代の日本軍遺構からなる。一つは明治か大正くらいの東京湾要塞としての遺構。そして、もうひとつが大東亜戦争のものである。ここは戦略的には砲台を置いたり観測所を設けるにはうってつけの場所で、要塞施設が建築された。そして、航空機が台頭すると対航空機用の監視台が作られた。

コンクリートで造られた遺構。これは二層目の壕の近くにあることから大戦中に作られたと思われる。

頂上に出た。開けた広場が現れた。

いきなり現れ始める上部遺構群。これは何かの台座の後だろうか?

コンクリートで作られており水がたまっている。今となっては分からない遺構だ。

煙突だろうか。突き出た金属物は当時そこに屋根がついていたことを物語る。

土がむき出す地面をよく見ると白っぽいものが落ちている。これが夏島貝塚といわれる所以の貝の化石である。そこかしこに落ちている。

地面からボルトが生えるナニコレ珍百景。これは対空砲座の固定ボルトではないかと思われる。

突然出てきた美しいレンガ積みの階段。

イギリス積みレンガの階段。もはや何が何やらといった風景だが、これは東京湾要塞の砲台のための関連施設であったのではないかと考える。

階段の下に崩壊した部屋のようなものがあった。

「昭和五年六月二十一日建立」と書かれているコンクリートの台座。神社の鳥居の台座だと思われる。

また先ほどの広場に戻ってきた。この煙突の下に行ってみる。

そこにあったのは残留した時間だった。

それは夕日を浴びて息をのむほど美しかった。

倉庫だろうか、東京湾要塞用のものだと思う。驚くべきは何十年もたっているのに窓にはガラスがあり、保存状態が良いことだ。ここは人の出入りが規制されている。この光景を見た人は決して多くないはずだ。それを今、自分はみている。この光景は当時とさほど変わらないだろう。まるでタイムスリップしたかのような空間だ。

誰の目にも止まることなく当時の時間はここに残留していた。奇跡的な出会いを今一人確かめている。
圧倒的な感動だった。

広場の少し離れたところに黄色と黒に塗装された鉄塔があった。この塗装も鉄塔も終戦から今までこのままだったのだ。

鉄塔に登った。ものすごい見晴らしがいい。この場所に何があったのか?自分は何らかの対空電探が設置されていたのではないかと考えている。

東京湾の水道を一望することができる。

何もかもが当時と同じだ。

最後に、広場で見つけた石柱。「海軍」という力強い文字が、ここが当時海軍要地だったことを示す。
この上部遺跡も地下壕も、それを建設した帝国海軍すらも、今は昔の時間の中の遺物になってしまった。全てが廃になった今、当時の時間だけがこんなところに残留していた。
次回は「航空機掩蔽豪」と「二階層目の壕」を紹介します!
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- 2011/06/16(木) 01:34:06|
- 戦争遺跡・地下壕
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| コメント:2
夏島に来られたのですね、言ってくれればご案内したのに!
でも、良くゲジ嫌いのみょんさんが、一人で行きましたね?
貝山や船越、田浦地区にお越しの時は、また皆で探索しましょう。
TONOさんは不在なので榴弾砲さんのブログにでもかきこして下さい。
あの鉄塔いいですよね!
- 2011/06/18(土) 23:29:28 |
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- yakumo #-
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yakumoさん
お久しぶりです!
夏島に行ったのは実は去年の冬なんですよ。その時に声をかければよかったです。ゲジは本当に嫌いなんですが、地下壕の魅力が上回りました!
夏島の上部施設は感動ですよ!鉄塔は昇って周りを見渡すと最高ですね。
今度機会があったら榴弾砲さんのところに書いてみます。その時はよろしくです(^u^)
- 2011/06/19(日) 21:55:38 |
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- みょん #-
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