歴史とともに眠る屋島ケーブル

香川県の屋島である。
かつてこの屋島の地は戦場となった。源平の合戦の一つである「屋島の戦い」である。平家はこの自然の要害を使い態勢を立て直そうとしたが、義経率いる源氏軍の前に敗北し、屋島は陥落。平家は四国の拠点を失い敗走。最後の決戦、「壇ノ浦の戦い」に挑むのである。
それからどれほどの月日が経っただろうか。屋島は観光地となっていた。山頂にある四国霊場八十四番の「屋島寺」を中心に、景勝地として人気を博したのだ。だが、レジャーの多様化や交通の不便さなどが重なり、山頂の土産物店や宿といった施設が軒並み廃墟化していく、苦しい時期を迎える。
今回紹介する「屋島ケーブル」も、そんな廃墟化の波に抗えず、廃線となってしまった一つであった。

屋島ケーブルは屋島登山鉄道の所有するケーブルカーであった。設立されたのは戦前であり、前述した山頂の屋島寺に行くための唯一の公共機関であり、動力交通手段であった。大東亜戦争中の1944年に、不要不急線として運航が休止する。不要不急線とは字のごとく、戦時に必要ないので資材を提供せよ、という命令により、休止した路線のことである。だが戦後復活し、運航を再開した。1961年に屋島ドライブウェイが開通し、唯一の交通手段では無くなったが、運航は支障なく行われる。
このケーブルカーが廃線になったのは、屋島観光そのものが衰退したからだ。これも前述したように、屋島観光の衰退にともない山頂には一大廃墟群が現れ、この屋島ケーブルの経営も逼迫するようになった。そして、2004年に屋島登山鉄道が自己破産し休止線となり、その後、運航の歴史に幕を閉じた。
歴史は繰り返すとよく言うが、屋島の栄枯盛衰は繰り返したようだ。
上の写真は、二つある屋島ケーブルの駅の一つ、「屋島登山口駅」である。内部に入ることはできなかった。

ケーブルカーの廃墟と聞いてどんなものだろうと思っていたが、裏手に回ってみるといきなり車両が停車していた。このようになっているのか。

真正面から見る。全体からはレトロな雰囲気が漂ってきている。こいつがつい最近まで運航していたのかと思うと、よくここまで頑張った、という気持になる。

ここに停車している車両は「1」と書いてある。山頂にもう一両同じ車両が存在し、その車両には「2」と書いてある。この二両の車両には愛称があり、1を「義経号」と言い、2を「辦慶号」と言っていたらしい。運航最後の日は機械故障の影響で終日運転が出来ず、「弁慶の立ち往生」という悲しい最後を迎えてしまったようだ。

車内の様子。こんなハンドルで大丈夫か?と思ってしまったハンドル。

外の光が差し込む以外、車内は物音ひとつしない。

ひび割れた外装に「屋島」の文字が書かれていた。

空中線のための支柱。こういう構造の鉄塔は大好きだ。

空中写真からでも確認可能な細い線路が、山頂までほぼまっすぐ伸びている。
謎のおじさんが一人上から下りてきていた。

駅と義経号

この屋島ケーブルは運転再開の署名運動が行われているようだ。だが、運転再開の兆しは無い。

この車両が山頂の弁慶と再会する日は、たぶん訪れないだろう。他の多くの廃墟がそうであったように。

それでは、登山口はこれくらいにして、山頂のほうに行ってみよう。

良い雰囲気の変電施設。「変電室」と書かれた文字のフォントが「絶望先生」で使われているようなフォントで素敵である。

ということで「屋島山頂駅」に到着した。
見てわかる通りに、何でこんな構造にしたの?と聞きたくなるような斬新な駅舎だ。だがそこが、今となっては魅力のポイントとなっている。

これ自体相当古い建物だろうと推測できる。戦前の建物ではないだろうか。

趣のある駅名を現すプレート。

「摩耶観光ホテル」を彷彿とさせるような作りである。きっと内部はさぞかし面白いのだろうが、侵入できず。

裏側に回ってみると、静かに車両が停車している。これが弁慶号である。

かつてはここから乗客が出入りしていたのだろう。光を受けて輝いている。

正面から見る。つくりは義経号と一緒のようだ。

こちらの駅は下に向かって急こう配となっている。気をつけないと転びそうだ。

屋島ケーブルの運賃は、大人で往復1300円もしたようだ。これでは客足が遠のくのも当然かもしれない。

誰もいないホーム。

乗降確認のための鏡であろう。だいぶ曇ってしまっていた。

運転席。こちらも義経号同様簡素な作りとなっている。

ホームからすぐの場所に、この線路唯一のトンネルが見える。そしてかなり傾斜のついた線路。

トンネルを抜けて下に延々と続いている。

トンネル内部。外壁の作りが戦中の急造掩体の作り方と似ている。

線路にあった№82と書かれたプレート。

線路より、ホームと車両を見る。

陰影の中に白と赤のラインが鮮やかに浮かぶ。

「祇園精舎の鐘の声・・・」から始まる平家物語冒頭には、この世の常と廃墟が出来る真髄のようなことが全て書いてある。昔の人が考えたことと、今現在の人間が考えることは同じである。盛者必衰であり、あたかもそれは、風の前の塵に同じなのである。

この世界の全ての物は唯春の夜の夢のごとし。幻想の世界は、はたして何時まで続くだろうか。
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始まりがあれば終わりがある
- 2012/03/15(木) 05:51:41|
- 廃線
-
| トラックバック:0
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| コメント:5
これって水曜どうでしょうでも出たことあったようなないような・・・
- 2015/05/07(木) 22:02:54 |
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- FUGA #43mdhuVM
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FUGAさん
水曜どうでしょうは自分も大好きですよ!
出たとすれば四国八十二箇所めぐりのときでしょうかね
- 2015/05/15(金) 09:33:43 |
- URL |
- 東雲みょん #-
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